わこわこマラソンクラブ

10/13/2010

日本山岳耐久レース(24時間以内)長谷川恒男CUP

2010年10月9日(土)、降り続く雨を眺めながら、明日・明後日に行われる日本山岳耐久レース、通称ハセツネCUPに思いをはせていた。それは、わくわくしたり、武者震いをするタイプのものではなかった。ただ単純に不安にさいなまれていた。
1週間前に週間天気予報が気象庁から出されるとそこには当日雨模様と報道されていた。迫りくる大会の気象状況を毎日気象庁のWEBでチェックするがそこには雨天以外に表示はなく、一縷の望みを賭けてウェザーニュースの気象予報も見るが、変わりなく雨の予報で、私は途方にくれていた。
雨天中のハセツネ走ったことのある先達のランナーからの話によれば、路面、特に赤土の部分はどろどろになるとともに滑りやすくなり、ストックがないと歩行が難しくなる、また、雨がライトにしみこみ、故障する(あるいは電池を交換するときに水分が中に入り故障の要因となる)、走行は困難になる、というものだった。
杞憂になれば・・・と思いつつ、当日の朝を迎えた。6:55起床。外は雨。止む気配は無い。即座にNHKの気象情報をつける。東京地方は15時過ぎまで雨が残るという話だ。
「しかたない、やるだけだ。」とつぶやきながら、顔を洗い、入念にひげをそり、いつもと同じ朝食、納豆をおかずにしてご飯1膳を胃に納める。
その後、昨日までに準備しておいた荷物の最終点検を行う。
雨天と気温が夜半に下がることを想定して、レース中に着るものは、明走会の黄色の発汗性のTシャツ、アームウォーマー(夜のみ)、ファイントラックのブリーフの上に前日防水スプレーを入念に吹き付けたCW-Xのタイツ、こけたときタイツの破損を防ぐための8インチのパンツ、そして足元は水を吸っても水はけがよく、さらさらな状態を保つ絹製のコクーンソックスだ。そして、防寒と雨天対策として今回ノースフェイスの防水性能が最も高いゴアテックスの雨具(上のみ)を用意した。
また、今回はウェアではないが、限りなくアップダウンが続く山岳レースを想定して、膝にニューハレテープを貼り、怪我や疲労から膝を守ることに万全を期した。
ハセツネCUPはエイドステーションが1箇所も無い。42km地点で水が1.5Lのみ提供されるだけだ。したがって、24時間のレース中、自分が飲んだり食べたりする物、怪我をしたときの応急キットや夜走るために必要なライト、その他自分が必要と思うものは全て自分のザックに入れて運ぶことになる。
走るには荷物を持たないほうが良い。それだけからだの負担となる。一方で、水や食べ物がなければ走ることは立ち行かなくなることは必至で、その2つの問題の間で各人が思い悩むことになる。
私は、軽量化の為にまず着替えを持って行く候補から外した。どろどろになることは覚悟して、寒くなった場合はゴアテックスの雨具でしのぐ計算だ。
困ったのは食べ物と飲料だ。トレランをする人たちが好んで持参するパワーバーやショッツはどうも甘くて苦手なので外している。替わりにアートスポーツ池袋店B1Fの高山さんに1個頂いて試してみようと思っているザヴァスの寒天状の固形ジェル(ピットインという名前)2つと同じくザヴァスのピットインリキッド2つ、そしてアミノバイタルスーパースポーツ2つ、アミノバイタルマルチエネルギー3つ、そして前回の雁坂峠越え143km走で活躍したおさかなソーセージ4本だ。
飲み物は、ハイドロの中に水2L、ザックの横の両脇のポケットに500mLのポカリスェットのペットボトル2本を用意した。水は42km地点にしかない。私はどのレースでも大量に水分を摂る習慣があり、少々心配ではあったが、なんとかこれで持ちこたえようと決めたのだった。
和光市から9:29の電車に乗り、10:47に目的地である武蔵五日市駅に着く予定であったが、和光市駅前で、出走前に食べるおにぎりと水を購入すべく、少し早めに家を出て、荷物も大きかったのでかみさんに車で駅まで送ってもらった。
するとどうだろう。駅に着く数分の間に、雨はあがったのだった。なんという幸運だ!ついている。あたふたとコンビニで買い物を済ませ、電車に乗る。
すこし早めの電車に乗れたので、目的地の駅には10:30ごろ到着した。駅では偶然、明走会トレラン部の東山さんと穂刈さんとお会いした。お二方ともベテランだ。二人とも天候の回復に喜んでいる。晴天がベテランでもこれくらいインパクトがあることであることが分かる。会場である五日市会館まで10分ほど、たわいも無い話をしながら3人でそぞろ歩く。大きな荷物を持ったランナーが会場までの道を埋め尽くしている。
受付でナンバーカードを見せ、JRO(日本山岳救助機構の山岳遭難補償制度)の振込み控えを見せてエントリーを終了した。このレースと4月に行われるハセツネ30では、山岳保険への加入が義務つけられている。私も取り急ぎ木曜日に振込みを済ませ、登録を完了した。
その後、会場内の五日市会館前の地面にレジャーシートを広げ、着替えを済ます。そして、買ってきたおにぎり3個と水を胃に収め、ガスター10を服用する。あと2時間でスタートだ。いやおうにも気持ちは高ぶってくる。見上げる空は、部分的にではあるが青空が広がっている。気温も上昇しているようだ。Tシャツでも暑く感じる。

会場内を散策するとウルトラマラソンなどでお会いする多くのランナー仲間と会い、お互いの健闘を祈る。無事に生還する、自分の思い描いたレースが出来ることを。
12時、開会式会場である五日市中学校校庭へのランナーの集結が始まる。それぞれが招待選手、10時間未満、12時間、16時間、20時間の申告時間制を書いた4つのプラカードの後に並ぶ形となっている。会場の入り口では、雁坂でお世話になった通称女将さん、川の道でお世話になった秋葉さん、信越五岳でご一緒させていただいた今野ご夫妻に出合い、完走を祈念いただいた。ありがたい。
開会式の前にトイレを済ます。簡易トイレで小便は小さな金属の缶にするという、まさに簡易タイプだ。そんなトイレが都合20基ほど並んでいる。不思議な光景だった。
12:30から開会式が始まった。大会委員長、来賓代表のあきる野市長、長谷川恒男さんの奥さんの挨拶が続き、競技委員長のレース説明、そして大会参加者の宣誓(ハセツネがご縁で一緒になったご夫婦と言うことでした)、準備体操が行われ、13時のスタート時間が迫ってきた。
10時間以内のところの人数が最も多い。私は12時間のところに並んでいた。本来の実力で行けば、16時間~18時間といったところだろうか。申し訳ないが、12時間に並ばせてもらった。それは、広徳寺から始まるトレイルでは途端に渋滞し、抜けるのに30分から1時間待たなければならないと仲間から聞いたからだ。
スタート5分を切り、多くのランナーがスタートラインにじりじりっとにじり寄っていく。人と人の感覚が詰り、まさにラッシュ時の山手線状態となった。
カウントダウンが始まった。10,9,8,7,6,5,4,3,2,1スタート!
2500人余のエントリー者の内、2222人がこの13時のスタートを迎え、スタートラインを越えて遠い71.5kmのゴールを目指して走り始めた。
皆、このあと混むのを知っているか知らずか、我先にとアスファルトの道路を飛ばしていく。市街地を抜け、小和田橋を渡り、広徳寺を正面に見て、そこから本格的な坂道となる。お寺の前では地元のにぎやかなお囃子とひょっとこのお面をかぶった人たちが私たちランナーに元気を授けてくれている。私は12kmのグループから先を急ぎ、トレイルに入ったあたりで前の10kmのブロックにいた東山さんに追いついた。左手に今熊の大規模な変電所が見て取れる。まだ気持ち的にも余裕がある。しかし少々オーバーペースか?体は火照っている。この熱さは体内から来るものか?それとも気象状況からか?
雁坂のときに心配の種だった右脚のハムストリングスの痛みもあまり感じられない。山の登りも快調だ。自分が思った以上に脚が動く。このままのペースを保てば、16時間~18時間でフィニッシュも夢では無いと思ったりする。
それにしても暑い。太陽が姿を現し、じりじりと照りつける。気温も上がり、前日から今朝まで降り続いた雨の影響で湿度がやたら高い感じだ。
ハートレートモニターを持っていないためどれだけの心拍かは分からないが、平常の心拍数48回に比べて3倍くらいの拍数を数えるくらいまで上がっている感じだ。あまり急いていくのは得策ではないと思っているが、前後にひしめくランナーと同じ動きをしないと流れにさおをさす感じになるので、止む無く同じくらいの速めのペースで進んだ。
調子は決して悪くない。しかし、ものすごく暑い。そしてのどが渇く。ハイドロの水を一口、二口飲む回数が増えてきた。あまり飲むと残量が減ることは分かっているが、飲まずにいられない。
4.24kmの今熊神社を過ぎると、神社から上の山に登る階段となる。すごい混雑だ。中央高速の談合坂あたりの渋滞を思い出す。坂の上りで車のスピードが落ちることで渋滞が引き起こされる、それがこの登山道でも起こっている。話す声も、笑いも何もない。あるのは、はーっ、はーっ、という息を吐く音だけだ。それも単純な音ではなく、登山特有の荒々しい、厳しい吐息だ。皆、苦しんでいる、私も頑張らなくては、そう思った。スタスタート地点の標高は200m、今熊神社は506m、4kmで400m標高を稼いだことになる。最高高度の三頭山は1527m、まだまだ高度を上げていかねばならない。しかも、尾根道、まき道を走るため登山道の上下を繰り返しながら。
7kmの入山峠、標高600mには14:11到着。ここから階段を登り、更に深い山道に入っていく。
10km地点、14:51到着。急勾配に付けられた階段を登りきり、その後だらだらとした上り下りが続く。かなりのペースで走っていく。11.7km地点、標高775mの市道山を越えて醍醐丸への更に続くアップダウンを抜けていく。15.3km地点、高度は867mに達した。しかし、登ったり下ったりで、一向に高度も距離も稼げないのでいらいらしてくる。市道山から山が開けて、遠くの景色が一瞬でも見られたのが救いだ。こんなことでもないとめげてくる。
醍醐丸では多くの応援者がランナーを「がんばれー!」の声で勇気付けてくれる。ランナーには一切の援助、補給物資、手助けは禁じられているため、唯一与えられるのが、元気を出してもらうための応援だ。本当にありがたい。こころからそう感じた。
醍醐丸を過ぎ、980mの連行峰まで一気に上がり、そこからぐっと下った後、生藤山に至る。更に一度急激に下がった後、16:47、三国峠、標高950mに至る。もちろんこんなところは走れない。
20km地点には16:54到着。いくらか平らなところをしばらく走ることになる。右手に軍刀利神社を見ながらそこを通り抜ける。数名のランナーが立ち止まり、手を合わせている。無事に帰還することを祈っているのだろうか。私も軽く頭を下げ、道中の無事を祈願した。
17時を過ぎたあたりから、夜のとばりが降りてきた。まだ10月の10日過ぎ。暦の上では彼岸をすこし過ぎたあたり。まだまだ日が短い感じは通常の生活では感じないが、ここは山の中。頭上には木々が生い茂り、更にはいつの間には暑い雲が空を覆い始めていた。
966mの熊倉山を過ぎたあたりから緩やかなくだりとなる。60ルーメンのヘッドライトを点灯する。明るさは十分と思ったが、頭部から照射されるビームは、路面にたどり着く前に弱まってしまう。ビームの強さを最大にしてみたがその効果は余り改善されたとはいえなかった。これは前日から降り続いた雨が地面に吸い込み、日中の太陽光あるいは気温で水蒸気となって蒸発しているため、ライトの光が霧消していることが分かった。
このころから厄介なことがもうひとつ発生した。雨が降り出したのだ。約20km地点あたりでかなりの量が降ってきている状態となった。
さあ、どうする?周りのランナーはどうか?しばし周りを見て思案する。
Tシャツでの走行継続も考えたが、着替えが無いこともありゴアテックスの雨具を着ることにした。雨具はゴアテックスでノースフェイスの最高の撥水性能を持つ高価なものだったが、今回一度も試験着用せず実戦であるこの大会に持ち込んだ。
さあ、どうなる?
雨は一切寄せ付けない。今まで使っていた通気性を持つ雨具に比べ大幅に蒸れ感がない。但し、如何せん、走っている身の為、体から発せられる熱気は全て排出されるわけではなく、胸まであるジップを開けて通気性を保った。
22.6kmの第一関門である浅間峠、標高860mには17:34に到着した。30名ほどのランナーが食べ物や飲み物を摂ったり、雨具を着込み、これから先に待ち構える夜間トレイルに備えていた。
私もソーセージやアミノバイタルなどを口に運び、水で胃に流し込んだ。まだまだ元気だ。しかし、この時点で恐ろしいことが起きた。グレゴリーのザックにアタッチメントしていた2Lのハイドロパックの水がなくなったのだ。ここから次の水があるところまで20kmある。さあ、どうする?
私は関門にいらしたスタッフの女性に訪ねた。「水場はどこにありますか?」
女性は、「給水ポイントは20km先です。」との返答。そして、「水場は途中にあるにはあるが、だいぶ山を降りなくてはならず、危険なのでお勧めしない」と言われた。
この時点で残っていた水分は、ザックの両サイドに入れてあるポカリスェット500ccボトル2本だ。横で、他のランナーがスタッフに聞く声が聞こえる。「リタイアします」。
「いけるか?」私は機動戦士ガンダムの主人公、アムロ・レイのようなことを独り言でつぶやく。20kmを1Lの水分で行く。これからの20kmは、このレースの最高高度である三頭山1527mを越えて5つの山、峠を越えていかねばならない。
この大会の前日、コースの主な地点のスタートからの距離、標高、その地点の予想到達時刻、そしてスタートからゴールまでの標高をモチーフにして書いた折れ線グラフのようなものを7cm×3cmくらいの紙片に書き、20時間でゴールするという必勝パターンのシュミレーション表を作って、右手にマジックテープでくくりつけている。それを確認すると約6時間が走行時間として出ていた。
相当スピードを上げても5時間弱だろう。しかし、スピードを上げることは更に体温を上げることにつながり、水分も体が要求してくるだろう。その両者の間を取り、出来るだけ水分を摂る回数を減らし、ゆっくりとしたスピードで進むことを心に決めた。
浅間峠の第一関門での休憩を5分未満とし、体が冷えないうちにコースに戻った。
雨は止まない。更にその勢いは強まっている。なにか恐ろしい気持ちになる。
25km地点、標高900mの日原峠、1005mの土俵峠、1098mの丸山、28km地点、1000mの笛吹峠と歩を進める。19:19到着。この時点で既に走れる状態ではなかった。それは、山のまき道が主となり、道は今までのシングルトラックから更に狭く、片側が完全に崖となっており、しかも崖側に道が傾いでおり、普通に走っていてこければ一発で滑落という感じだ。
更には、赤土の路面は、昨日から降った雨で完全にどろどろのつるつる状態になっていて、第一関門を過ぎたとき私の順番が804番だったこともあり、前を行くランナーにその赤土が削られ、更に滑り易い状態になっていた。
アドベンチャーグリーンという、ハセツネ完走10回以上の方に送られる称号を持つ明走会トレラン部の曽根さんにこの状態を聞いていて、ストック2本使いが有効だと聞いていたにも関わらず、直前でのお金の支出にためらい、更には何とかなるだろうという今までの成功体験(とはいうものの、トレランでの成功体験というにはあまりのも経験が不足しているが・・・)でストックは持ってきていなかった。悔やんでも悔やみきれない気持ちの中、赤土の上で10回ほど転げまくり、すべりまくった。おかげで体中どろだらけとなった。
笛吹峠のある27.96kmを過ぎたとき、ヘッドライトが突然暗くなった。
「電池切れか?」おかしい。最も電池が長持ちするパナのEVOLTAを入れてきた。最高パワーでも4時間は持つはずだ。
トレイルの横に座り、ハンドライトを取り出す。そしてヘッドライトの電池を交換する。
しかしヘッドライトは点灯しない。いったいどうしたんだろう。仕方なくハンドライト1本の弱弱しい光で真っ暗な夜の闇の中を、泥にまみれて前へ前へと進んでいく。
これで心配事が4つになった。水が無いこと、雨による体調の変化・体温の低下、雨による路面の悪化、ライトが故障。
泣き面に蜂とはこのことか?
今まで練習してきたことはなんだったんだ?
今まで以上に準備してきたことはなんだったのか?
しかし、そんな時、冷静になれる自分が居る。
装備をもう一度点検して、何が出来るか考えよう。
ライトはハンドライトだけになっても、これから後から来るランナーにぴったりついて行かせてもらえば何とかなるだろう。
雨に影響による体調の変化は、今までのウルトラの経験からなんとかクリアできると判断した。
最も気持ちが塞いだのは、水だ。
私は普段でも1日2Lの水を飲む。もっと言えば飲むことをこの10数年心がけてきた。
それは、花粉症で苦しむ春先に、ある人からのアドバイスで「ミネラルウォーターが良いらしいよ」と言われ、飲みはじめてから花粉症の症状が緩和されたため、それ以降続けている習慣だ(このころからマラソンを始めているので、水と花粉症の因果関係があるかどうかは判らないし、もしかしたらマラソンが良い影響を花粉症に与えているかも知れない。あるいはどちらでもあるかもしれないし、そうでないかも知れない)。
体が水分を要求し、それをなかなか我慢することが出来ない体になっているようだ。それがこんなときに悪さをしているような感じだ。
笛吹峠で水分は残り600ccとなっていた。どこまでいける?さあ、どうする?
笛吹峠のスタッフに一言尋ねた、「次でリタイアできるところはどこですか?」
「4.2km先の西原峠でリタイア可能」とのスタッフの返答。
「脚は元気だ。気持ちは萎えつつあるが、今まで何度も修羅場をくぐってきた。お前ならいけるはず」、ともう一人の自分が言う。
そうすると、もう一人の自分がこう言う。
「万が一、途中で水がなくなり、体から水分が失われたらもう誰も助けられない。他人に迷惑をかけることになる。自分の見栄や名誉、自尊心維持や自分の無知な自信だけで無茶をしてはいけない」。
この4.2kmはそれを何度も何度も繰り返した。
西原峠まで標高差158mをどろどろ、つるつるの赤土の上やまき道の崖の間を進みながら考える、思案する、悩む。おれはどうしたらいいのだ?
水があれば何とかなる・・・そう考えているところに防火用水のドラム缶が3本見えてきた。上澄みの水を飲んだらなんとかもつか・・・。いや、やめよう。もし飲んで大事に至ったら大変だ。
次に思ったのは、木々の葉の上についた雨滴をなめたら何とかのどの渇きはなんとか止まるのではないか・・・これも現実的ではない。
そうこう考えているうちに大コケを数回して、手がどうしようもなくどろどろになってしまった。こうなると手が使えなくなる。
しかたなく立ち木にその泥をつけたり、葉に擦り付けたりしていたが、葉に泥をつけようとした途端、猛烈な痛みが指先に感じられた。どうもバラ科あるいはひいらぎのようなとげのついた葉を触ってしまったらしい。指にとげが刺さったままではあるが、ここでとげを抜くことも出来ず、意気消沈して先へ先へと進んでいった。
ある瞬間、右脚くるぶしの外側に激痛が走った。何かが脚に刺さったようだ。
止まってみると、右脚のくるぶし付近のCWXのタイツが破れている。しかし、出血もなければ、木が脚に刺さっていることも無い。
「ああ、15000円もしたタイツが破けてしまった・・・。とほほ。」と心中穏やかではなかったが、よくよく考えてみればこのタイツがなければ確実に脚に木が刺さっていたわけで、これを不幸中の幸いといわずして何おかいわんである。
30km地点には20:04到着。
この時点で水分は残り350cc。もう選択の余地は無い。リタイアだ。
なぜなら、仮にリタイアしたとしても、そこからリタイアランナー回収車のある場所まで1時間あまりの山道を歩いて下らなくてはならない。
心は決まった。西原峠へとゆっくりと進んでいく。
前に明かりがちらちらと見え隠れする。やっと西原峠に到着した。32.19km地点、標高1158m。20:22到着。
スタッフの方が、「西原峠です。10mほど上がったところにベンチがあります」と歩いてくるランナーに声をかけてくれる。
私はスタッフに会うと同時に、安らぎと、リタイアの消沈した気持ちの2つを心に思いながら「リタイアします」と伝えた。
「どうしたんですか?」とのスタッフの声に、
「水切れです」と答えた。
なんともあっけない幕切れであった。
スタッフの方から、「水はありますか」と聞かれたので、
「すこししかありません」と返答したところ、
ご自身用に持ってきていた水を50ccほど分けていただいた。嬉しい。ほんとうに美味しい。感謝しても仕切れないくらいの水のうまさだ。
私は砂漠に行ったこともなければ、もちろん砂漠で遭難したこともない。
しかし、砂漠で遭難した人の気持ち、苦しさが、ほんの少しだけれども今回の水切れでわかったような気がする。
スタッフの方から「そこのテントで休んでいてください。一人でリタイア下山道を行かせるのは危険なので、何人かリタイアする人が来たら一緒に下ってもらいます。」と仰った。
ものの5分も経たないうちに後続のランナーでリタイアされる方が1名出て、一緒に下山道を下ることになった。
下山道には、ハセツネのコース表示である「山岳耐久コース⇒」という表記の下に赤字で
リタイアと書いてある表示板が道々立っている。これを見るのはただただつらかった。
私は本当にリタイアしてよかったのか?
もっと頑張れたのではないか?
冷静になればなるほど、悔しさはこみ上げてくる。
そしてなにしろ脚や体が痛くない。
まだそれしか走っていないんだ。
まだ余力があるのにリタイアするそのときの気持ち。

14年に渉る私の特別輝かしくもないマラソン人生の中で、たった一つかもしれない輝くものは、5kmのレースから265kmの超ウルトラまで、1度もリタイアしたことが無いことだったかもしれない。

しかし、今回、それを放棄した。

今日はレースを自分の意志で打ち切ってから2日目、リタイアが正しい決断であったことを再確認した。

それは、この日本山岳耐久レースの別の名称である「ハセツネ」こと長谷川恒男さんが常々言っていた言葉、「無事に帰還してこそ、名クライマー」のコンセプトの通りの所作だったからだ。
別にかっこつけるわけではないが、早くゴールすることよりも、かっこよく走ることよりも、何にも優先するのが安全に帰還することだと思う。
長谷川恒男さんはこう言っている。
「山の機嫌が良いときに山に登らせてもらう」「生き抜くことが冒険だ」
私の今回のレースは、事前の準備不足やトレーニング不足、更には十分な状況判断とそれに対応するための入念な作戦立案と様々な状況に応じた対応策の実行が出来なかったことがリタイアの原因だ。
しかし、無事に帰還し、自分が自宅でこの文章を書いていることが、私の今回のレースの糧であり、これからのランニング人生に大きなマイルストーンとなったことは言うまでも無い事実だ。

応援していただいた皆さん、大会をバックアップしてくれたスタッフの皆さん、大会への様々な情報の提供をしていただいたランニング仲間の皆さん、私が属するランニングクラブの皆さん、私の担当先である販売店の通称「あにき」、そして家族に感謝して今回のレポートを終わります。