第62回別府大分毎日マラソン出場記
ランナーとしての夢。
何かのきっかけで走ることに興味を持ち、走り始めた人なら、きっとその延長線上に
夢をもつことだろう。
夢を抱き、夢を追いかけて、ランナーは大きく育っていく。
ランナーとして一度は成し遂げたいことは、人それぞれだろう。
サブスリー:フルマラソンを3時間未満で走ること
サブテン:100kmのウルトラマラソンを10時間未満で走ること
富士登山競争時間内完走:4時間半で山頂まで到達すること
この3つを達成することが、所謂「グランドスラム」と言われる称号だ。
私はいまだにそのどれも成し遂げることはできていないが、別の尺度で
今までのマラソン人生に刺激となるものを偶然見つけてしまった。
それは、別府大分毎日マラソンへの出場だ。
日本のオリンピック・世界選手権出場選考レースは、福岡国際、びわ湖国際、東京が
有名だが、それに準ずる大会としてこの通称「別大」が位置付けられている。
出場するための資格は厳しく、今まではサブスリーランナーまでしか出ることが
出来なかった。
しかし、一昨年であったか、別大の門戸が大きく開かれ、3時間半までの
制限時間のカテゴリー3という枠ができたのだ。
当時はまだ持ちタイムが微妙に足りなかった。
17年前から始めたマラソンは、年齢を重ねるごとに少しずつタイムが縮まり、
2011年の大田原、2012年の東京でその3:30をクリアすることができたのだ。
一度は出てみたかったシリアスレースへの出場。
まさに夢の舞台だ。
エントリー7,000円を支払い、自らが基準をクリアした記録証をFAXし、
出場の手はずを全て整えた。
大会は2月3日日曜日。
即、大分空港行きのチケットをとろうと思ったらすでに一杯になっていた。
やむなく福岡空港にはいり、そこから電車か高速バスで移動することを
考え、福岡往復の航空券を確保した。
大会の準備は秋口から始め、ペース走、ビルドアップ走などやってきた。
11月23日の大田原マラソンでも3:30切で走れて、12月23日の
所沢航空公園行われた年の瀬マラソンでは仮装した状態で3:40で
走れたこともあり、きちんと追い込めば3:15は行けるかも・・・、と
思ったりしていた。
大会前日に福岡空港に入り、別大に出場される私の友人の江口さんと合流する。
江口さんは大濠公園で全盲のランナーのサポートをされているボランティアの
代表を務められている。
またの名を「ウルトラ呑兵衛」。ウルトラマラソンとすごい呑み助をかけていると
思われる。
15時半に別府市の選手受付会場ビーコンプラザに到着した。
受付が終わると、会場内で地元の食べ物、飲物をいただき、宿泊先である
大分駅前のルートインにチェックインした。
其の後、江口さんの友人の皆さんと10人ほどで決起集会と称して盛大な
飲み会を行った。
日は変わり3日、レース当日となった。
スタート地点のうみたまごに向かう。
スタートは12時だが、11時前には会場に到着した。
カテゴリー1(2:40未満)の選手はおさる館という建物の中
カテゴリー2(3:00未満)の選手はおさる館まえのテント、バス
カテゴリー3(一般)の選手は、国道横のテントとバスの中と、
はっきり序列がつけられている。
勿論私たちはこの国道横のテントで着替え、スタート15分前のラインナップまで
ゆっくりと過ごす。
天候は晴れ。気温13度と少々暑い。
いよいよラインナップの時間が来た。
横に15人で101列。
私は42列目に位置した。
持ちタイムのいい人から前に並ぶ形だ。ただ、私のあとにいる人たちは、
陸連未登録の人たちだろう。
全ての参加ランナーの中で、最後尾に来る程度の力だと認識し、焦らず、淡々と
走ろうと決めた。
スタート5分前、ランナーはスタート地点である野生のおさるで有名な高崎山の
すぐそばに移動する。
12時丁度、号砲とともにすべてのランナーがスタートしていく。
42列目の私は、スタートするまで30秒かかった。
想像はしていたが、周りのランナーは仮装する人もいず、シューズもウェアも
レース仕様で、この大会のレベルの高さを物語っていた。
国道10号線をいっぱいに使い、ランナーは進んでいく。
私が抜くランナーはほとんどいないが、抜かれるのは数多で、いやはやとほほと
感じる始末。
5km 23:52
道路には応援の方が大勢いらして私たちランナーの応援をしてくれている。
年配の方が多いように感じる。
亀川バイパス折り返しを過ぎてすぐの10km地点では、関門が設定されていて
49分となっている。
ここを私が過ぎたのが47:06。ラップは23:14
すぐ後ろに回収車がきているのがわかった。
15km1:10:35 ラップ23:29。1:13の関門クリア。
15km地点の東別府駅前を過ぎるとスタート地点のうみたまごを再度通過する。
20km地点 仏崎1:34:16 ラップ23:41
ハーフ地点 1:39:22 関門1:45とここもクリア。
25km地点 1:57:57 ラップ23:41 関門2:03クリア。
ここでトップを行く川内選手と中本選手の一騎打ちを見ることができた。
25kmを過ぎると応援する人もがくっと減り、さびしい感じになる。
30km地点 2:22:42 ラップ24:45 2:28関門クリア。
ラップが落ち始めた。
35km地点 2:49:53 ラップ27:11 2:54関門クリア。
これ以上落とすと、最後の関門で引っかかる。
40km走ってきてアウトは悲しい。
40km地点 3:18:05 ラップ28:08 3:20関門ぎりぎりクリア。
ゴール 3:32:09
2202位。
制限時間内に完走した方は2234人ということで、私のあとには32人しか
いないことになる。
カメラをもって走ったわけではないので、走っているところを載せる写真はない。
風も穏やかで思った以上に走りやすかったように感じるが、なぜか体が
うまく使えず、3:15切りところか3:30切りもできなかった。
残念だが、自分の実力ということで納得するしかない。
来年も出場の権利はあるので、しっかり準備して来年の大会に備えたい。
特に体幹の強化とスピードを保つことを主に鍛錬していきたい。
シリアスなレースで、一度は自分で納得するレースをしたい。
そう思う今日この頃である。
自己満足---自分が納得した走りが出来ること。
これを目指して、もう一度練習開始だ。
追記
前日の「飲み」はできるだけ避けよう。
ベストパフォーマンスは望めないからだ。
何かのきっかけで走ることに興味を持ち、走り始めた人なら、きっとその延長線上に
夢をもつことだろう。
夢を抱き、夢を追いかけて、ランナーは大きく育っていく。
ランナーとして一度は成し遂げたいことは、人それぞれだろう。
サブスリー:フルマラソンを3時間未満で走ること
サブテン:100kmのウルトラマラソンを10時間未満で走ること
富士登山競争時間内完走:4時間半で山頂まで到達すること
この3つを達成することが、所謂「グランドスラム」と言われる称号だ。
私はいまだにそのどれも成し遂げることはできていないが、別の尺度で
今までのマラソン人生に刺激となるものを偶然見つけてしまった。
それは、別府大分毎日マラソンへの出場だ。
日本のオリンピック・世界選手権出場選考レースは、福岡国際、びわ湖国際、東京が
有名だが、それに準ずる大会としてこの通称「別大」が位置付けられている。
出場するための資格は厳しく、今まではサブスリーランナーまでしか出ることが
出来なかった。
しかし、一昨年であったか、別大の門戸が大きく開かれ、3時間半までの
制限時間のカテゴリー3という枠ができたのだ。
当時はまだ持ちタイムが微妙に足りなかった。
17年前から始めたマラソンは、年齢を重ねるごとに少しずつタイムが縮まり、
2011年の大田原、2012年の東京でその3:30をクリアすることができたのだ。
一度は出てみたかったシリアスレースへの出場。
まさに夢の舞台だ。
エントリー7,000円を支払い、自らが基準をクリアした記録証をFAXし、
出場の手はずを全て整えた。
大会は2月3日日曜日。
即、大分空港行きのチケットをとろうと思ったらすでに一杯になっていた。
やむなく福岡空港にはいり、そこから電車か高速バスで移動することを
考え、福岡往復の航空券を確保した。
大会の準備は秋口から始め、ペース走、ビルドアップ走などやってきた。
11月23日の大田原マラソンでも3:30切で走れて、12月23日の
所沢航空公園行われた年の瀬マラソンでは仮装した状態で3:40で
走れたこともあり、きちんと追い込めば3:15は行けるかも・・・、と
思ったりしていた。
大会前日に福岡空港に入り、別大に出場される私の友人の江口さんと合流する。
江口さんは大濠公園で全盲のランナーのサポートをされているボランティアの
代表を務められている。
またの名を「ウルトラ呑兵衛」。ウルトラマラソンとすごい呑み助をかけていると
思われる。
15時半に別府市の選手受付会場ビーコンプラザに到着した。
受付が終わると、会場内で地元の食べ物、飲物をいただき、宿泊先である
大分駅前のルートインにチェックインした。
其の後、江口さんの友人の皆さんと10人ほどで決起集会と称して盛大な
飲み会を行った。
日は変わり3日、レース当日となった。
スタート地点のうみたまごに向かう。
スタートは12時だが、11時前には会場に到着した。
カテゴリー1(2:40未満)の選手はおさる館という建物の中
カテゴリー2(3:00未満)の選手はおさる館まえのテント、バス
カテゴリー3(一般)の選手は、国道横のテントとバスの中と、
はっきり序列がつけられている。
勿論私たちはこの国道横のテントで着替え、スタート15分前のラインナップまで
ゆっくりと過ごす。
天候は晴れ。気温13度と少々暑い。
いよいよラインナップの時間が来た。
横に15人で101列。
私は42列目に位置した。
持ちタイムのいい人から前に並ぶ形だ。ただ、私のあとにいる人たちは、
陸連未登録の人たちだろう。
全ての参加ランナーの中で、最後尾に来る程度の力だと認識し、焦らず、淡々と
走ろうと決めた。
スタート5分前、ランナーはスタート地点である野生のおさるで有名な高崎山の
すぐそばに移動する。
12時丁度、号砲とともにすべてのランナーがスタートしていく。
42列目の私は、スタートするまで30秒かかった。
想像はしていたが、周りのランナーは仮装する人もいず、シューズもウェアも
レース仕様で、この大会のレベルの高さを物語っていた。
国道10号線をいっぱいに使い、ランナーは進んでいく。
私が抜くランナーはほとんどいないが、抜かれるのは数多で、いやはやとほほと
感じる始末。
5km 23:52
道路には応援の方が大勢いらして私たちランナーの応援をしてくれている。
年配の方が多いように感じる。
亀川バイパス折り返しを過ぎてすぐの10km地点では、関門が設定されていて
49分となっている。
ここを私が過ぎたのが47:06。ラップは23:14
すぐ後ろに回収車がきているのがわかった。
15km1:10:35 ラップ23:29。1:13の関門クリア。
15km地点の東別府駅前を過ぎるとスタート地点のうみたまごを再度通過する。
20km地点 仏崎1:34:16 ラップ23:41
ハーフ地点 1:39:22 関門1:45とここもクリア。
25km地点 1:57:57 ラップ23:41 関門2:03クリア。
ここでトップを行く川内選手と中本選手の一騎打ちを見ることができた。
25kmを過ぎると応援する人もがくっと減り、さびしい感じになる。
30km地点 2:22:42 ラップ24:45 2:28関門クリア。
ラップが落ち始めた。
35km地点 2:49:53 ラップ27:11 2:54関門クリア。
これ以上落とすと、最後の関門で引っかかる。
40km走ってきてアウトは悲しい。
40km地点 3:18:05 ラップ28:08 3:20関門ぎりぎりクリア。
ゴール 3:32:09
2202位。
制限時間内に完走した方は2234人ということで、私のあとには32人しか
いないことになる。
カメラをもって走ったわけではないので、走っているところを載せる写真はない。
風も穏やかで思った以上に走りやすかったように感じるが、なぜか体が
うまく使えず、3:15切りところか3:30切りもできなかった。
残念だが、自分の実力ということで納得するしかない。
来年も出場の権利はあるので、しっかり準備して来年の大会に備えたい。
特に体幹の強化とスピードを保つことを主に鍛錬していきたい。
シリアスなレースで、一度は自分で納得するレースをしたい。
そう思う今日この頃である。
自己満足---自分が納得した走りが出来ること。
これを目指して、もう一度練習開始だ。
追記
前日の「飲み」はできるだけ避けよう。
ベストパフォーマンスは望めないからだ。
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