第6回千歳支笏湖ウルトラ遠足完走レポート
昨年、今年と4月末に行われた知多半島一周ウルトラ遠足に出場し、おかげさまで昨年は80km40代の部で優勝(総合2位)、今年は年代が上がり70km50代の部で優勝(総合3位)となり、金メダルを頂くことになった。とはいうものの小さな大会で、ちょっと頑張れば1位に手が届く、そんな大会を運営しているのが愛知県在住の川崎五郎さんだ。
川崎さんは御年75歳。奥さんと今年金婚式を迎えた仲良し夫婦だ。北海道を皮切りに日本各地を仕事で転勤し、リタイアしたあとマラソン大会の運営を司っている。
2回目の知多半島ウルトラ遠足に出たときに、川崎さんから
と言われた。
それから仕事が忙しくなり、なんとなく頭からその情報が離れていたが、6月のある日、ひょんなことで大会のことを思い出し、ランネットやスポーツエントリーで情報を探すもそこには全く情報は無く、それなら直接川崎さんに連絡を取ってみようと思い立ち、携帯に電話した。
「まだエントリー受け付けてるよ。よかったら申込用紙送ろうか?それと、良かったら宿泊費半額にしとくよ。」
とのこと。
3日ほど経ち、茶色の封筒で案内と振込用紙が送られてきた。そこには100km10,000円、80km8000円、70km7000円、50km5000円、40km4000円。宿泊費は8000円のところ4000円とあった。
前日入りで走ったその後すぐに帰れる70kmに即エントリー。宿泊費含めて11,000円だった。仮に往復を今流行のLCCで行けば、新千歳空港からすぐのところで開催されるこの大会への参加は、きっと4万円でおつりがくるくらいのウルトラ安いレースといえよう。
2012年9月2日の大会も近くなった8月のある日、
「大会が近くなったらまた電話してよ。案内するからさ。」
と川崎さんに言われていたのを思い出し、電話すると、
「えー、いつくるの?前日?そりゃー無理だわ。準備があるからなー。」
とのお返事で、確かに大会の準備があるから仕方ないなー、と思ったところ、
「じゃあ、一緒に車に乗って大会の準備やってよ。コースもわかっていいでしょ。」
ということになり、8月31日夜に現地入りし、翌日朝から川崎さんと合流させていただいた。千歳の街から千歳川の横を行く道を支笏湖まで淡々と上っていくとオコタンペ湖まで40kmほどあるが、道案内の掲示板を要所・要所に付けていく作業を手伝い、午前中を費やした。
作業が終わり宿である千歳駅から歩いて15分ほどのところにあるホテルかめやにチェックインする。相部屋を想定していたが、シングルでほっと安心。更に夕食には普通のビジネスホテルのちょっと豪華な食事と思うぐらいのものが提供されて更にびっくり。
夕食の際に川崎さんからコースの説明がある。とはいってもごく簡単なものだが。
明日のコースのことなどいろいろと考えながら、22時にベットに入り、睡眠をとる。私はお酒を飲むと睡眠が浅くなり、翌日便が緩くなる傾向があるので、お酒を飲まずにいつもと同じように普通に横になると、割と早く深い眠りに入っていけた。
翌日の起床は3:55。いつものように55分に起床するのは、普段はあまり担ぐことは無いが、「Go Go!」の語呂あわせでゲンを担ぐ意味でウルトラマラソンの完走を祈念するためだ。
5時にスタートするウルトラの大会が多いが、この大会も同じだ。起床時間を2時間、3時間前に置くランナーも多いと思うが、私は前日にいろいろと準備して、できるだけ睡眠時間を長く取ることを心がけている。
食堂で朝食を頂く。これも普通の旅館の朝食と同じくらいの立派な料理が提供され、これを全部食べるとちょっと多いかなー、と思うくらいの食事を平らげてエネルギーを補給した。
ご飯を食べて、昨晩用意しておいた装備の最終点検とウェアの着装に入る。
帽子は日光が当たり体力の消耗を防ぐために首筋を守るマジックキャップをランニングキャップの下に被る。Tシャツは明走会の黄色の半そで。擦過を予防するために乳首、わきの下、肩、足にプロテクト1というジェルを塗る。下は長い時間走ることにより股ずれを防ぐためショートスパッツを穿き、足元はCEPのコンプレッションソックスと普通のマラソンでも使用しているNEWTONのDistanceを履く。事前に得ていた情報では10km以上エイドが無いこともあるので、小さめのザックに500mlのペットボトルを2本入れて、水分補給の心配を排除した。昨日の雨天のこともあり、ゴアテックスの雨具をザックに入れた。
4:50にスタート地点である千歳神社の前にランナーが集合した。昨日から行われている神社のお祭りの喧騒は、今はこの場所にはない。ひっそりした静けさと、これから走り出す70名弱のランナーの息使いだけがここにある。
昨日川崎さんに伺った話に寄れば、エントリーしている選手の数は、100km:50人弱、80km:2人、70km:14人、50km10数人、40km10数人、全部合わせても90人弱というとてもこじんまりした大会だ。
5:00スタート。ばらばらっと選手が市街地を抜け、千歳川のそばのサイクリングロードを3kmほど上流に上っていく。まだ夏の気配を残す北の台地だが、朝晩の気温はかなり冷え込む。ロングスリーブ、手袋の選手も多い。各自おのおののペースで歩を進めていくが、100kmのランナーと思われる人たちはずどんとスパートしていった。知らないうちに小雨は止んでいた。
すぐに国道453号線に出る。歩道を支笏湖畔まで辿って行く。ひたすらの上り。
支笏湖は水深60mで田沢湖に次ぎ日本第二位の深さで、その深さゆえ北限の不凍湖でもある。
8:25に35km地点70kmの折り返しに到着。前に折り返した人がいないことを係りの人に伺い、記念撮影をしたあと水分補給して折り返す。折り返すとこれから前へ進んでいくランナーと挨拶を交わしていく。お互いが元気になる、そんな瞬間だ。
9:39、50km地点に到着、ペースは下りになりあがっているがコースは単調だ、あまりに単調だ。写真も撮る機会が減る。そしてランナーとは全く会わなくなった。小雨が降り始めた。ただ、気温が高くなっているのでシャワー効果で体温を下げるのには役立つ。
やっとのことで62km地点に到着したのが11:34。6時間半を超して来た。途中で7時間の目標タイムを切れないことがなんとなく実感として分かるとスピードは見る見る落ちてくる。
ホテルかめやが見えてきた。ゴール、時間は7:19:08.70kmの部総合優勝、50代の部優勝、そして全てのランナーで最も早くゴールに帰ってこれた。
タイムは決して良くは無い。しかし1位は1位。運動音痴でいいことひとつない学生生活を送ってきた私が17年前から始めたマラソン。自分に自信をつけ、勇気をもたらした、走るという行為で賞をもらえたことに対し、純粋に喜びを覚える。
思えば劣等感と悲壮感にさいなまれた人生を高校から20年ほど過ごしてきた。自己肯定感が低く、なにをやってもうまく行かないような気持ちで生きてきたが、走り始めてからその気持ちに変化が現れ、人生前向きに、そして最後までやり遂げる気持ちを醸成することができた。走ることも生きることもなかなか難しいし、障害も多いが、自分だけが自分の人生を切り開くことが出来、努力すれば結果が出ることを学んだ。早稲田大学を創設した大隈重信翁によれば、人間は120年生きるポテンシャルがあるそうだ。(大隈講堂はその120をもじって120尺:約40mあるとのこと)私はまだ51歳。折り返しまで来ていない。最後まで走り続けよう。
追記
本大会は参加者が少なく、運営に事欠く状況とのこと(川崎代表談)。
最低でも100名から200名の参加者がいないと大会は成り立たないとのこと。
今回もぎりぎりの予算で大会を運営するため、給食の工夫、エイドのスタッフ(アルバイトでまかなっている)、本部スタッフは代表が兼務、大会参加のグッズは無しとしている。
但し、出来るだけ多くのランナーにメダルが渡るように70,60,50,40,30のそれぞれの年代で100km、80km、70km、50km、40kmのそれぞれのパートで1位から3位までメダルと賞状を用意していただいている。
なぜ全員に完走金メダル(しかも名入り)を用意しているのかということを代表に聞いてみた。
「私もそうだけども、なかなか大会に出てメダルをもらうなんてことないでしょ。自分が頑張って走って、メダルをもらえたらうれしいから続けてやっているんだよね。」
とのこと。
大会の運営はどうですかと伺うと、
「もうかるなんてことはないねえ・・・。じゃあ、なんでやってるかって?それは周りの人やランナーに大会をやってよと言われるから。頼まれたらやるしかないじゃないの。」
とのお返事。
昨今、マラソン大会がエントリー開始してすぐに定員に達してしまうくらい活況を呈しているマラソン人気だが、影でひっそりこういった大会を運営し、私のような地味で遅いランナーの気持ちに応えようとする主催者もいらっしゃることを認識すると共に、エンドがなんちゃらとかサポートが悪いとか、クレームをつけるランナーの皆さんも、大会を運営する人の気持ちを汲んで大会に臨む必要性を感じている。
以上。
0 Comments:
コメントを投稿
<< Home