ウルトラトレイルマウントフジ(UTMF)参戦記
「ああ、なんでこのレースにエントリーしてしまったんだろう・・・。」
「今年こそ周到な準備と練習をして、なんとか完走する。」
幸い大田原、青島太平洋、東京とフル3連戦は今までのタイムを更新する良い形で推移してきて、自分なりに納得の前半であった。
5月2日に大会関連の資料が大会事務局から届いた。いよいよだ。156kmにわたる旅が始まる。最終準備の始まりだ。
装備に関しては、事務局から参加のレギュレーションとして決められているものを順次用意していった。
1. コースマップ、コンパス:昭文社刊「山と高原地図31富士山御坂愛鷹」950円、オイル入りコンパス1200円程度
2. 携帯電話
3. 個人用のカップあるいはタンブラー(150cc以上):折りたたみ式のカップをイトーヨーカドーで360円にて購入
6. サバイバルブランケット:東急ハンズで購入、630円
7. ホィッスル:サロモンのザックについていた付録を利用
8. テーピング用テープ:トレランのとき使っているものを流用
9. 携帯食料:私はショッツの甘さがだめなので、今回塩羊羹を用意した。羊羹の甘さはあまり気にならないし、塩分も摂れる。1個100円と安い。
10. 携帯トイレ:オリンピックで、@210円で3つ購入
11. レインウェア: ノースフェイス製の一点もの、最高撥水ということで上だけで定価4万5千円!(ファミリーセールで、25,000円で購入しました)を1年半前から使用しているのを持っていった。これは最高です!
12. 足首丈のランパン・タイツ:CW-Xのスタビライクスタイツ
13. 熊鈴:信越五岳に出場したときに購入。1000円くらい
14. ファーストエイドキット:キッチンでおなじみのジップロックの一番小さなものに絆創膏や目薬などを入れて携行
15. 保険証
16. 配布されるナンバーカード、ICチップ
17. 配布される蛍光テープ:黄色のUTMFのロゴ入り
大会が近づき、私が全幅の信頼を寄せているアートスポーツの鈴木健司さんに当日のウェアについて相談に伺った。
「1日目は暑いでしょうから、ファイントラックのTシャツの上に速乾性のTシャツ、アームウォーマーに、寒くなったらモンベルのULジャケットで行きましょう。下はファイントラックのブリーフにCW-Xのタイツ、靴下はCEPのサポートソックスでどうでしょう。こどもの国に置けるドロップバックには、長袖のトレランシャツと防寒用ジャケットを入れておきましょう。天子山塊はきっとスピードが落ち、寒くなるでしょうから。」
ということですべてその仰せに従った。
156kmにわたるコースは、既に一部試走禁止区間を除いて発表されていたので、購入した地図に、ロッテのキシリトールボトルガムの中に入っている捨て紙にエイドの名称、関門と自己の通過予定タイム、エイドで出される食べ物を書き込み、エイドのある場所に貼った。そして、コースとなる道には夜でも見え易いようにピンクの蛍光ペンで工程を書き込んだ。16日に全てのコースが発表になったので更にその部分をアップデートした。
なお、雨天にも耐えられるように地図は100円ショップで購入したA4の折り曲げ出来る透明のファイルに入れて携行した。お金を出来るだけかけないで参加することも自分のモットーである。
各ポイントでの大会が事前告知している速い選手、遅い選手、関門と自分の計画タイムを記す。
場所名 速い選手 遅い選手 関門 自己計画
A1富士吉田工業団地 16:48 19:05 18:00
A2二十曲峠 18:06 22:02 21:00
A3山中湖きらら 18:42 23:23 22:00
A4すばしり 20:26 02:29 04:00 03:00
A5富士山御殿場口太郎坊21:25 04:53 06:00 05:00
A6水ヶ塚公園 22:04 06:23 07:00 06:00
A7富士山こどもの国 23:03 10:35 11:00 08:00
W1北山 00:42 14:20 12:00
A8西富士中学校 01:47 20:50 21:00 15:00
A9本栖湖スポーツセンター06:17 07:49 08:00 05:00
W2鳴沢氷穴 07:29 10:51 11:00 08:00
河口湖大池公園finish 09:00 15:00 15:00 12:00
45時間で完走を計画化した。
5月18日(金)、6:15に起床する。自分の誕生日である6月15日に合わせてゲンを担ぐ。私はあまり縁起を担ぐことはないが、ウルトラマラソンなど特別なときは別だ。
いつもどおりの朝の所作、つまり髭を剃り、身支度をし、ご飯と納豆を食べ、トイレに行き、7:30に家を出て、9:10新宿バスターミナルを出発する高速バスの車窓の人となった。(高速バス代は、片道1700円と、交通費としては最も安くつく。)
10:55に河口湖駅に到着。到着するや否や遠くから女性の声がする。
「UTMFに参加する人はいませんかー?会場まで送っていきますよー!」
たまたまそこに居合わせた3名のランナーが手を挙げ、送っていただくことになった。この地に不案内で、1.5km重い荷物を持って歩くのはちょっと・・・と思っていたので本当に助かった。地元の奥様、ありがとうございます。
会場となる大池公園はかなり広く、バスで行けばハーブ園前で降りる場所がその場所となる。スタートそしてゴールとなるゲートがその存在を誇示し、その奥に見える ノースフェースのドーム型テント風のパビリオンが目を見張る。
まずはナンバーカードの引き換えを行う。ゼッケン652を4枚、シューズに付けるICチップを2つ受け取る。また、中間地点のこどもの国に預けるドロップバック(50×70cm)と参加賞であるUTMFのロゴ入りTシャツとゴアテックススタッフバック、プリマロフトのマジックキャップを頂いた。
その後、装備のレギュレーションの確認を受ける。山へ入る前の最終チェック、厳重に入念にボランティアの方によるチェックが行われた。
やっとすべての手続きが終わり、会場内のテーブルに場所を移し、しばしくつろぐ。
時は11:20。少し早いが東京で購入したおにぎり3つと私の好物でもある稲荷すし3つを頬張る。大阪からこられたランナーの方と歓談する。ひとときのほっとする瞬間だ。
会場はそれほど大きくないので誰かとお会いできないかときょろきょろしていたら、武蔵UMCの加藤さん・増子さん、関西明走会ジダンさん、MTRCのてっちゃん、東山さん、テンガロンハットの今野ご夫妻、安芸RCの桃瀬さん・木下さんと会い、一言・二言レースへの健闘を誓う言葉を掛け合う。
ラン仲間との会話の合間に、ドロップバックに入れるものを再度確認し、詰め込んでいく。後半に着る上衣(マウンテンハードウェアの長袖シャツ、ファイントラックのアンダーウェア)、携行食料、携帯トイレ、エマージェンシーブランケット、ポカリスェット900mL2本をビニルの袋であるドロップバックにしまう。ナンバーカードをCWXタイツの上に穿いている8インチのショーツの左側前に、もう一枚をグレゴリーのザックの後ろ側に安全ピンで取り付けた。
装備でつけくわえることがもうひとつある。以前から使っていたグレゴリーのザック(リアクター12L)の使用を今回も考えたが、ハイドレーションの取出しがスムースに出来、背負い易いという説明をしてくれたアートスポーツ本店の高山さんのご指南の通りグレゴリーのザックに新調した(9000円ほど)。また、長丁場の100マイルを乗り越えるためにモンベルの4段折りたたみストック(1本6300円)を2本購入し、ザックの左右のショルダーストラップに、簡単に脱着出来るようにモンベルのマジックテープでくくりつけた。
スタート時のザックの重さは、その内容から6kgは裕に超える重さと思われた。
ハイドレーション:2kg
左右ザックポケットに入れたポカリスェット500mL2本:1kg
ストック2本
携行食料(羊羹3つ、アミノバイタル2つ、パワーバー3本)
14:30、開会式が始まる。名誉実行委員長の三浦雄一郎さん、実行委員長の鏑木さんの挨拶、実行委員の村越さんの競技説明のあと、実行委員の福田六花さん、三好礼子さんの紹介、姉妹レースであるUTMBディレクターのカトリーヌ・ポレッティーの挨拶、関連自治体の首長の紹介があり、プロミュージシャンのトランペット演奏があり、いよいよスタートのときを迎えた。
浅間神社を過ぎ白滝林道を粛々と進む。上りはほとんど歩いて上っていく。高度を上げるにつけ、富士山は更にその裾野を見せ、より美しい姿となる。標高837mの大池公園から1200mほどまで登り、南側に方角を変えて西川新倉林道に入り富士吉田市に下っていく。山から人里に下りると、地元の方々による「がんばれー」の応援がありがたい。まだまだ自分も元気だ。
ことぶき駅前で後方から来た富士急行の列車に追い抜かれる。そろそろA1、富士吉田工業団地だ。標高715mのA1到着は17:25。18kmに2時間25分を費やしたことになる。
こちらでは明走会白井さん、安芸RCの木下さんに応援を頂いた。感謝。
おなかがすいたので早速補給に移る。吉田うどんを2杯、バナナを1本頂く。うまい。まだまだ胃も調子いい。水の補給はせず、5分ほどの滞在でエイドを後にする。
富士浅間神社の横を過ぎ、1597mの杓子山に至るのぼりに入る。夕暮れの中にたたずむ富士山はなんて綺麗なんだろう・・と思いながら歩を進めていく。1日の中で私の好きな瞬間であるブルーモーメント(日の出、日の入りの前後5分ほどの間に、世の中がブルーに染まる時間帯のこと)の中に浮かび上がる富士山は、それはすばらしい光景だ。
ヘッドライトを点燈し、Tシャツの上にモンベルULジャケットを羽織る。少し寒くなった。ただ、のぼりにかかると暑くなるので、ジャケットのファスナーを開け閉めして温度の調節に勤しんだ。
杓子山には19:21到着。アップダウンの繰り返しと本格的に夜に入り、疲労感が出てきた。ガレ場もあり、トレラン初心者の私には、心理的にも負担となる。
20:33、標高1204m、31km地点のA2 二十曲峠に到着。ここではそばが出されるとのことだったがそばはなく、替わりに地元で作られたパンが出されていた。クリームパンをひとつ頂き、むしゃむしゃと食べる。脚は少々疲れもたまっているが、胃は元気、元気。20:50にA2を後にして出発した。
須走まではストックがほぼ使用できない。ただ、ひたすら歩く。1413mの石割山まで上り、あとは山中湖まで下り基調となる。
37km地点 標高983mのA3山中湖きららには21:55到着。計画では22時なので若干余裕がある。とにかく太郎坊までが関門が厳しいので、そこまでは出来るだけ早め早めの到着を心がけて動くようにしている。多くのランナーが、ちょいと疲れた風情で芝生に腰を下ろして休んでいる。もちろん私も疲れているが、長い休みは禁物と思い、休憩を自制している。ここでは、まりもスープなるものを頂いた。暖かい食べものは、体にじわーっと染み渡り、ふつふつと元気が沸いてくる感じだ。ついでにオレンジとバナナを頂く。これまたうまい。22:08に会場を後にし、また山に戻っていく。
平野を右折し、まっすぐ舗装路を進むと、切通峠に至る林道に入る。そこから三国山ハイキングコースに入り、23:38に標高1320の三国山に到着した。すでにスタートしてから10時間が経っている。途中真っ暗なので何も見えないが、楢木山、大洞山、畑尾山、立山を経てA4 須走に到着した。1:21、宇宙船のような歩道橋がお迎えだ。
A4 須走は標高830m、53km地点。ここではパンや果物を頂いた後、きのこ汁を更に頂き、暖かい、そしてしょっぱい味に舌鼓を打った。
甘酒もあったが頂くことなく、替わりに富士浅間神社で祈願したという完走お守りを頂戴した。そして、暖かくなっている室内でひと時を過ごし、これから使用がほぼ可能となるストックをセットし、1:46にA4を後にした。このエイドでは休憩施設で毛布に包まり休まれている方が多くいて、その誘惑に惑わされそうだったが、それを断ち、コースに戻った。
須走からは上り基調が続き、標高1422mのA5富士山御殿場口太郎坊、61km地点には3:54に到着した。わずか8kmに2時間を費やしている。かなりハードな上りで堪えた。地元で作られたすべて違う絵が書かれている富士山まんじゅうをひとつ頂いた。横を見れば、おにぎりとそばがある。迷わずおにぎり1個とそばを頂いた。そして、更に横を見ればカップヌードルが・・・。こんなに食べてまた・・と思うかもしれないが、食べられることは元気な証拠ということで、カップヌードルもいただきました。うまい!!このしょっぱさがいいんです。具のえびもお肉も最高です!
食べ終わって後ろを振り返るとそこには夜の闇に浮かび上がる雪をいただいた富士山が。
76Km地点、標高910mのこどもの国までは、舗装路をひたすら下っていく。エイド到着は7:20。予定では8時なので、計画通りだ。
ここではドロップバックに入れた荷物をザックの荷物と交換することが出来る唯一の地点。
私は上着を全て着替えて、更にモンベルの厚手のジャケットをザックに入れようと思ったら、「無い!」。スタート前の点検ではあったのだが、ドロップバックに入れるのを忘れたようだ。寒いのは厳しいが、今まで着てきたULジャケットと、寒くなったら雨具を着込むと自分で自分を納得させた。
ここで偶然同じクラブに属するジダンさんと遭遇、お互いの健闘を誓い合い、8:18スタートした。
更に少しずつ高度を下げ、標高519m、102kmのA8西富士中学校には12:57に到着。ここは今までに無いくらい多くのランナーが休憩したり、滞在していた。
私はここでも食欲を発揮し、冷たいお汁粉と富士宮やきそばを3パック、更にはクリームパンとあんぱん、オレンジを頂き、これから入っていく天子山塊の最終点検を行って、最後に装備の点検の列に連なり、点検を受けたあと、12:02にコースに戻った。1時間5分の休憩は少々長かったが、元々の計画では15時であるから3時間の猶予がある。余裕を持って行動できていることが自分のこころの余裕になっている。
しばらくして空模様が怪しくなってきた。14時間をかけて次のエイドにたどり着く予定であるが、それまでに27kmの急峻な山道を進まなくてはならない。雨が降れば更にその気象条件によって工程に不利に働くことになる。雨よ、降らんでくれ、と心の中で叫ぶ。
一つ目の山、1330mの天子ヶ岳には16:01到着、まだこれからだ。
次の長者ヶ岳(1336m)には16:35到着。ここでの関門は23時。クリアだ。
雲守山1575mには18:29到着、天狗岳、湧水峠には気づかず通り過ぎていた。疲れている?雨が降り始めた。ノースフェイスの雨具を着る。上り続きで熱がこもる。
ヘッドライトに火を入れる。200ルーメンの明るさは、月の光の無い雨の闇夜には行き先を照らす力強い灯火だが、雨に光が拡散して光が頭から地面に十分に到達せず、足元がおぼつかなくなった。ザックの肩に付けているハンドライトの使用も考えたが、ストックが使えなくなることを考慮して使用を控えた。時間を確認すると気持ちが落ち込むと考え、時計を見ず、粛々と足を一歩一歩進め、上り下りを制覇するしかない。このときの頭にはそれだけだった。
1605mの雪見岳には19:28到着。ひたすら雨。ひたすら登り。金山、地蔵峠を経て最高標高地点の1945mの毛無山に到着。21:35。もう疲労困憊、ほとほと疲れた。この山は日本200名山に選ばれているとのことだか、今はその高さ、険しさが恨めしく感じる。
雨は降り続いている。大見岳を経て雨ヶ岳に到着する。23:09、1772m。トレイルはつるつるのどろどろで、いたるところでランナーが転んでおり、私もその一人と化して、勘定はしていないがおそらく50回以上転んだのではないだろうか?
こわかったのはガレ場で転倒し、脚や体が動けないようになること、そして雨で体が冷え、低体温症になることだった。一回だけ岩の上で転倒し、左のひじとわき腹をしたたか打ったが、なんとか動ける状態だったので、一休みして下って行った。
一旦下って、本栖湖に至るかと思いきや、そこに現れたのが竜ヶ岳1485m。やっとの思いで山の麓に到着したが、山頂に至る一筋の道を登っていくランナーのライトの光が麓から見えた瞬間、やる気は一気に削がれ、歩きにも精彩がなくなり、上っては休み、上っては休みの連続となった。この山は笹で覆われているが、途中なんども幻影を見ることになる。
2日前から寝ていないのでもっともなことだと思うが、目に入ってくる情報をそうと認識せず、全く違ったものとして認識するようだ。この現象は以前川の道フットレース255km、265kmに出場した際にも経験しており、違和感は無いが、認識しているものは全く違うもので、今回は居酒屋やお城、動物や外国の有名タレントに見えたりした。
それより今回びっくりしたのは、幻影に伴って幻聴があったということだ。こういうときは案外冷静だ。先ほど居酒屋と書いたが、居酒屋と思ったのは前を行くランナーのライトがいくつも重なり、お店のように見えたのだが、笹の葉が風でざわざわいうのが、居酒屋の会話に聞こえたりして面白かった。
山頂には1:09に到達。気持ちも体も限界となった。笹の葉を掻き分け 掻き分け、上り下りを繰り返し、何度もしりもちをついたり、前のめりに滑ったりしながら、A9に歩を進めていった。
A9、129km地点、標高906mの本栖湖スポーツセンターには2:23到着。かなり疲労しているのが自分でも分かる。脚は下りの踏ん張りが利かなくなっており、更には足の指はシューズの中で前に詰まることで爪が圧迫され、うっ血しており、重いザックを背負う背中も強烈な張りに悩まされていた。
このままゴールまで寝ないで行こうかと思ったが、計画では5時にここに到着することになっている。また、日の出を待っていったほうが山道は走り易いだろうと考え、1時間半寝ることにした。
さて、寝る場所は、・・・と探すも、既に一杯のようだったので、施設の通路の暖房の前でごろりと横になり、携帯の目覚ましをセットして(もちろん、他の人の迷惑にならないよう。バイブレーションで)瞬時のうちに睡眠に入った。
起きてまずやったのは、コーヒーを2杯飲んだこと。そして施設の中で提供されている味噌汁、おにぎりを食べて元気を回復することだ。
食事を終え、身支度をしてコースに戻ったのが4:56。あと27kmの道のりをゆっくりゆっくり進んでいこうとこころに決める。
そういえば、昨晩浄水場に見えたところは、一面の芝生のサッカー場で大きな芸能人の顔が連なって見えていたのは、大きな木立だった。面白い。自らの限界に近いところをさまよっていたのか、この経験を今後のレースの糧にしよう。
本栖湖をちらっと左手に見て、東海自然歩道を進んでいく。ここはあの有名な青木が原の樹海の端にあたるところと思われる。残念ながら精進湖の姿を見ることは出来ず、前へ進んでいく。
W2標高1025m、142kmの鳴沢氷穴には6:55に到着した。(計画では8時)残りが少なくなっていることもあり、元気がまた復活した。
五湖台に8:02到着。晴れていれば富士五湖が望めるということだが残念ながらすべてが見える状態ではなかった。富士山は、私の近くに、すくっと立っているようにたたずんでいた。
8:59、やっと河口湖のほとりに到着。長い 長い旅も終わりに近づいている。最後の脚を使って、アスファルトの平坦な道をゆっくり、ゆっくりと進んでいく。
沿道では、ゴールするランナーへの賛辞のことばが飛びかう。
「もうちょっとー。」
「がんばれー。」
「ラストー!」
「お疲れー!」
「よくやったー!」
ここまできたら自分の気持ちに正直になろう・・・と思った瞬間に涙がこぼれそうになる。
「ありがとう!」
「ありがとうございます。」
「本当にありがとうございます・・・。」
何度も何度も、この感極まってきちんとした声にならない「ありがとう」ということばで、応援してくれる沿道の方々にお応えする。
9:35、ゴール。156kmにわたる長いレースが終わった。所要時間は、42時間35分。出来すぎだ。本当に出来すぎだ。
東京マラソンが終わり、5月に行われるこのレースのことを考えながら、ふと私はこうつぶやいた。
そもそもの始まりは、2年前に見たNHKの「劇走モンブラン」でのUTMB100マイルでの、すばらしい景色の中を走るランナーの姿を見たことだ。トップランナーの鏑木さんやキリアンの走りには目を見張ったが、70歳近い年齢でこつこつと前へ進んで聞くシュバイツァーさんの粘り強い走りにも感銘を受けた。
所属しているランニングクラブの分科会のトレラン部のUTMBに参戦した方から、たまたま見せていただいた景色にまた感激し、純粋にUTMBに参加したいと強く思うようになっていった。
しかし現実はそう甘くもない。家庭の事情や獲得ポイント数(当時、信越五岳の3ポイントしかなかった・・・5ポイントないとUTMBにエントリーできない)の障害が私の前に立ちふさがり、翌年2010年の参戦は見送られることとなった。
そんな私の前に新たな情報が友人からもたらされた。それがUTMF(ウルトラトレイルマウントフジ)であった。日本で始めて開かれる100マイルのレース、そして憧れのUTMBの唯一の姉妹レース、それがUTMFであった。
2011年2月5日、出張先でランネットにエントリー手続きを行い、時々HPで情報を得ようとしていたところ、3月末であったか、震災の影響により今年は大会を中止する旨の発表があり、参加費として支払い済みであった2万4千円が現金書留で戻っていたのであった。
実はこのときは中止になったのが個人的には少しうれしかった。それは練習不足と事前の準備不足が露呈していて、出走してもとても完走できるとは思えなかったからだ。
春が過ぎ、夏が来て、秋が深まり、昨年エントリーした冬が来た。前回エントリーした人には優先エントリー権が付与されており、12月に再度エントリーをした、というか してしまったのだ。
トレイルはまだまだ初心者であり、前回は勢いでエントリーしてしまった。今回、以前から出場を予定していた川の道フットレース520kmへの参加を考えていたこともあり、今回の再エントリーは躊躇した。しかし参戦を決めたのは、今回が第一回大会であること、そして所属するトレラン部のメンバーの「われ、参戦す!」のメールに触発され、エントリーに至ったのであった。
と決めて、東京マラソンまではスピードと持久力、それ以降は長い距離をゆっくり走るトレーニングを進めてきた。
幸い大田原、青島太平洋、東京とフル3連戦は今までのタイムを更新する良い形で推移してきて、自分なりに納得の前半であった。
そして、後半。思っていたような長い距離をゆっくりと走ることが十分できず、何か中途半端な状況が続いた。トレイルへの順応を果たすために参戦した3月20日のNATHANトレイルフルマラソンチャンピオンシップin宮沢湖と4月1日のハセツネ30Kでも山の上りの力の無さ、下りのテクニックの欠如を再認識し、なんともさびしい事前練習となってしまった。
UTMF前で最後のレース、満を持して参加した知多半島ウルトラ遠足では、昨年の80kmの部40代優勝、部門2位に続き今年は70kmの部に出場し、50代となったため、50代の部で優勝、部門3位に食い込み、今年も金メダルを2つもらい、家路に着いた。
最後でいい形になったが、心配は募るばかり。日々更新されるUTMFのHP,ブログを見るに付け、徐々に気持ちが盛り上がるよりも、大丈夫だろうかという気持ちが増幅していった。特に気になったのが鏑木さんの発言による「完走率は30%」というものだ。どう考えてみても私は残り70%に属する。さあ、どうする?
5月2日に大会関連の資料が大会事務局から届いた。いよいよだ。156kmにわたる旅が始まる。最終準備の始まりだ。
トレーニングは疲れを取る為、控えめにし、大会前までの5月の距離数は130kmに抑えた。さらに大会4日前からは走るのを控えて完全休養に当てた。もう年も年だし、疲れをとるには時間が必要と考えた。
装備に関しては、事務局から参加のレギュレーションとして決められているものを順次用意していった。
1. コースマップ、コンパス:昭文社刊「山と高原地図31富士山御坂愛鷹」950円、オイル入りコンパス1200円程度
2. 携帯電話
3. 個人用のカップあるいはタンブラー(150cc以上):折りたたみ式のカップをイトーヨーカドーで360円にて購入
5. ライト2個、予備電池:GENTOS閃SG325(150ルーメンハンドライト、これは以前から持っていた)、GENTOS ヘッドウォーズ888H(200ルーメンヘッドライト)→ハセツネのとき使用したモンベルの90ルーメンでも暗かったことから、200ルーメンの高輝度のものを購入した。
6. サバイバルブランケット:東急ハンズで購入、630円
7. ホィッスル:サロモンのザックについていた付録を利用
8. テーピング用テープ:トレランのとき使っているものを流用
9. 携帯食料:私はショッツの甘さがだめなので、今回塩羊羹を用意した。羊羹の甘さはあまり気にならないし、塩分も摂れる。1個100円と安い。
10. 携帯トイレ:オリンピックで、@210円で3つ購入
11. レインウェア: ノースフェイス製の一点もの、最高撥水ということで上だけで定価4万5千円!(ファミリーセールで、25,000円で購入しました)を1年半前から使用しているのを持っていった。これは最高です!
12. 足首丈のランパン・タイツ:CW-Xのスタビライクスタイツ
13. 熊鈴:信越五岳に出場したときに購入。1000円くらい
14. ファーストエイドキット:キッチンでおなじみのジップロックの一番小さなものに絆創膏や目薬などを入れて携行
15. 保険証
16. 配布されるナンバーカード、ICチップ
17. 配布される蛍光テープ:黄色のUTMFのロゴ入り
大会が近づき、私が全幅の信頼を寄せているアートスポーツの鈴木健司さんに当日のウェアについて相談に伺った。
「1日目は暑いでしょうから、ファイントラックのTシャツの上に速乾性のTシャツ、アームウォーマーに、寒くなったらモンベルのULジャケットで行きましょう。下はファイントラックのブリーフにCW-Xのタイツ、靴下はCEPのサポートソックスでどうでしょう。こどもの国に置けるドロップバックには、長袖のトレランシャツと防寒用ジャケットを入れておきましょう。天子山塊はきっとスピードが落ち、寒くなるでしょうから。」
ということですべてその仰せに従った。
156kmにわたるコースは、既に一部試走禁止区間を除いて発表されていたので、購入した地図に、ロッテのキシリトールボトルガムの中に入っている捨て紙にエイドの名称、関門と自己の通過予定タイム、エイドで出される食べ物を書き込み、エイドのある場所に貼った。そして、コースとなる道には夜でも見え易いようにピンクの蛍光ペンで工程を書き込んだ。16日に全てのコースが発表になったので更にその部分をアップデートした。
なお、雨天にも耐えられるように地図は100円ショップで購入したA4の折り曲げ出来る透明のファイルに入れて携行した。お金を出来るだけかけないで参加することも自分のモットーである。
各ポイントでの大会が事前告知している速い選手、遅い選手、関門と自分の計画タイムを記す。
場所名 速い選手 遅い選手 関門 自己計画
A1富士吉田工業団地 16:48 19:05 18:00
A2二十曲峠 18:06 22:02 21:00
A3山中湖きらら 18:42 23:23 22:00
A4すばしり 20:26 02:29 04:00 03:00
A5富士山御殿場口太郎坊21:25 04:53 06:00 05:00
A6水ヶ塚公園 22:04 06:23 07:00 06:00
A7富士山こどもの国 23:03 10:35 11:00 08:00
W1北山 00:42 14:20 12:00
A8西富士中学校 01:47 20:50 21:00 15:00
A9本栖湖スポーツセンター06:17 07:49 08:00 05:00
W2鳴沢氷穴 07:29 10:51 11:00 08:00
河口湖大池公園finish 09:00 15:00 15:00 12:00
45時間で完走を計画化した。
5月18日(金)、6:15に起床する。自分の誕生日である6月15日に合わせてゲンを担ぐ。私はあまり縁起を担ぐことはないが、ウルトラマラソンなど特別なときは別だ。
いつもどおりの朝の所作、つまり髭を剃り、身支度をし、ご飯と納豆を食べ、トイレに行き、7:30に家を出て、9:10新宿バスターミナルを出発する高速バスの車窓の人となった。(高速バス代は、片道1700円と、交通費としては最も安くつく。)
10:55に河口湖駅に到着。到着するや否や遠くから女性の声がする。
「UTMFに参加する人はいませんかー?会場まで送っていきますよー!」
たまたまそこに居合わせた3名のランナーが手を挙げ、送っていただくことになった。この地に不案内で、1.5km重い荷物を持って歩くのはちょっと・・・と思っていたので本当に助かった。地元の奥様、ありがとうございます。
会場となる大池公園はかなり広く、バスで行けばハーブ園前で降りる場所がその場所となる。スタートそしてゴールとなるゲートがその存在を誇示し、その奥に見える ノースフェースのドーム型テント風のパビリオンが目を見張る。
まずはナンバーカードの引き換えを行う。ゼッケン652を4枚、シューズに付けるICチップを2つ受け取る。また、中間地点のこどもの国に預けるドロップバック(50×70cm)と参加賞であるUTMFのロゴ入りTシャツとゴアテックススタッフバック、プリマロフトのマジックキャップを頂いた。
その後、装備のレギュレーションの確認を受ける。山へ入る前の最終チェック、厳重に入念にボランティアの方によるチェックが行われた。
やっとすべての手続きが終わり、会場内のテーブルに場所を移し、しばしくつろぐ。
時は11:20。少し早いが東京で購入したおにぎり3つと私の好物でもある稲荷すし3つを頬張る。大阪からこられたランナーの方と歓談する。ひとときのほっとする瞬間だ。
会場はそれほど大きくないので誰かとお会いできないかときょろきょろしていたら、武蔵UMCの加藤さん・増子さん、関西明走会ジダンさん、MTRCのてっちゃん、東山さん、テンガロンハットの今野ご夫妻、安芸RCの桃瀬さん・木下さんと会い、一言・二言レースへの健闘を誓う言葉を掛け合う。
ラン仲間との会話の合間に、ドロップバックに入れるものを再度確認し、詰め込んでいく。後半に着る上衣(マウンテンハードウェアの長袖シャツ、ファイントラックのアンダーウェア)、携行食料、携帯トイレ、エマージェンシーブランケット、ポカリスェット900mL2本をビニルの袋であるドロップバックにしまう。ナンバーカードをCWXタイツの上に穿いている8インチのショーツの左側前に、もう一枚をグレゴリーのザックの後ろ側に安全ピンで取り付けた。
装備でつけくわえることがもうひとつある。以前から使っていたグレゴリーのザック(リアクター12L)の使用を今回も考えたが、ハイドレーションの取出しがスムースに出来、背負い易いという説明をしてくれたアートスポーツ本店の高山さんのご指南の通りグレゴリーのザックに新調した(9000円ほど)。また、長丁場の100マイルを乗り越えるためにモンベルの4段折りたたみストック(1本6300円)を2本購入し、ザックの左右のショルダーストラップに、簡単に脱着出来るようにモンベルのマジックテープでくくりつけた。
スタート時のザックの重さは、その内容から6kgは裕に超える重さと思われた。
ハイドレーション:2kg
左右ザックポケットに入れたポカリスェット500mL2本:1kg
ストック2本
携行食料(羊羹3つ、アミノバイタル2つ、パワーバー3本)
あとは大会のレギュレーションの通りだ。とてつもなく重く感じる。
14時に最終の荷物点検を行い、会場に預ける荷物、ドロップバックをそれぞれ預かる場所にもって行き、お願いする。
14:30、開会式が始まる。名誉実行委員長の三浦雄一郎さん、実行委員長の鏑木さんの挨拶、実行委員の村越さんの競技説明のあと、実行委員の福田六花さん、三好礼子さんの紹介、姉妹レースであるUTMBディレクターのカトリーヌ・ポレッティーの挨拶、関連自治体の首長の紹介があり、プロミュージシャンのトランペット演奏があり、いよいよスタートのときを迎えた。
15:00、号砲がなる。777名のスタートラインについたUTMFランナーの旅立ちの時だ。スタートと共に前の道を右に折れ、更に右に折れて河口湖大橋を渡り、しばし河口湖を左に見ながら湖畔を走り、舗装された道を徐々に高度を上げていく。
ことぶき駅前で後方から来た富士急行の列車に追い抜かれる。そろそろA1、富士吉田工業団地だ。標高715mのA1到着は17:25。18kmに2時間25分を費やしたことになる。
こちらでは明走会白井さん、安芸RCの木下さんに応援を頂いた。感謝。
おなかがすいたので早速補給に移る。吉田うどんを2杯、バナナを1本頂く。うまい。まだまだ胃も調子いい。水の補給はせず、5分ほどの滞在でエイドを後にする。
富士浅間神社の横を過ぎ、1597mの杓子山に至るのぼりに入る。夕暮れの中にたたずむ富士山はなんて綺麗なんだろう・・と思いながら歩を進めていく。1日の中で私の好きな瞬間であるブルーモーメント(日の出、日の入りの前後5分ほどの間に、世の中がブルーに染まる時間帯のこと)の中に浮かび上がる富士山は、それはすばらしい光景だ。
ヘッドライトを点燈し、Tシャツの上にモンベルULジャケットを羽織る。少し寒くなった。ただ、のぼりにかかると暑くなるので、ジャケットのファスナーを開け閉めして温度の調節に勤しんだ。
杓子山には19:21到着。アップダウンの繰り返しと本格的に夜に入り、疲労感が出てきた。ガレ場もあり、トレラン初心者の私には、心理的にも負担となる。
20:33、標高1204m、31km地点のA2 二十曲峠に到着。ここではそばが出されるとのことだったがそばはなく、替わりに地元で作られたパンが出されていた。クリームパンをひとつ頂き、むしゃむしゃと食べる。脚は少々疲れもたまっているが、胃は元気、元気。20:50にA2を後にして出発した。
須走まではストックがほぼ使用できない。ただ、ひたすら歩く。1413mの石割山まで上り、あとは山中湖まで下り基調となる。
37km地点 標高983mのA3山中湖きららには21:55到着。計画では22時なので若干余裕がある。とにかく太郎坊までが関門が厳しいので、そこまでは出来るだけ早め早めの到着を心がけて動くようにしている。多くのランナーが、ちょいと疲れた風情で芝生に腰を下ろして休んでいる。もちろん私も疲れているが、長い休みは禁物と思い、休憩を自制している。ここでは、まりもスープなるものを頂いた。暖かい食べものは、体にじわーっと染み渡り、ふつふつと元気が沸いてくる感じだ。ついでにオレンジとバナナを頂く。これまたうまい。22:08に会場を後にし、また山に戻っていく。
平野を右折し、まっすぐ舗装路を進むと、切通峠に至る林道に入る。そこから三国山ハイキングコースに入り、23:38に標高1320の三国山に到着した。すでにスタートしてから10時間が経っている。途中真っ暗なので何も見えないが、楢木山、大洞山、畑尾山、立山を経てA4 須走に到着した。1:21、宇宙船のような歩道橋がお迎えだ。
A4 須走は標高830m、53km地点。ここではパンや果物を頂いた後、きのこ汁を更に頂き、暖かい、そしてしょっぱい味に舌鼓を打った。
甘酒もあったが頂くことなく、替わりに富士浅間神社で祈願したという完走お守りを頂戴した。そして、暖かくなっている室内でひと時を過ごし、これから使用がほぼ可能となるストックをセットし、1:46にA4を後にした。このエイドでは休憩施設で毛布に包まり休まれている方が多くいて、その誘惑に惑わされそうだったが、それを断ち、コースに戻った。
須走からは上り基調が続き、標高1422mのA5富士山御殿場口太郎坊、61km地点には3:54に到着した。わずか8kmに2時間を費やしている。かなりハードな上りで堪えた。地元で作られたすべて違う絵が書かれている富士山まんじゅうをひとつ頂いた。横を見れば、おにぎりとそばがある。迷わずおにぎり1個とそばを頂いた。そして、更に横を見ればカップヌードルが・・・。こんなに食べてまた・・と思うかもしれないが、食べられることは元気な証拠ということで、カップヌードルもいただきました。うまい!!このしょっぱさがいいんです。具のえびもお肉も最高です!
食べ終わって後ろを振り返るとそこには夜の闇に浮かび上がる雪をいただいた富士山が。
そうこうしているうちに夜の帳が開け、朝焼けのときがやってきた。朝のブルーモーメントにたたずむランナーは絵になる。ここには4:12まで滞留していた。
標高1446m、67km地点のA6水ヶ塚公園までは富士山スカイラインを走る(というか上りなので歩き)。程なくして5:16に到着。ここでもまたまたおいしいものがお待ちかね。すやまうどんに裾野餃子を入れてもらい、それを暖かいうちに食す。うまい!!なんてうまいんだ。そして、こんな寒い中で私たちランナーに食事を給仕していただいているボランティアの皆さんに感謝して(毎回どのエイドでももちろん感謝しています)、20分ほどゆっくりしてエイドをスタートする。
76Km地点、標高910mのこどもの国までは、舗装路をひたすら下っていく。エイド到着は7:20。予定では8時なので、計画通りだ。
ひとまず腹ごしらえということで、地元の名物のさららという太いうどんの入った味噌仕立ての食べ物とB級グルメ選手権で金賞?に輝いた チャーシューおにぎりをいただいた。そして、静岡といえばお茶、とうことで、眠気覚ましにお茶を3杯頂いた。私はお茶フリークなのでとてもこれはありがたいサービス。眠気も吹き飛んだ。
ここではドロップバックに入れた荷物をザックの荷物と交換することが出来る唯一の地点。
私は上着を全て着替えて、更にモンベルの厚手のジャケットをザックに入れようと思ったら、「無い!」。スタート前の点検ではあったのだが、ドロップバックに入れるのを忘れたようだ。寒いのは厳しいが、今まで着てきたULジャケットと、寒くなったら雨具を着込むと自分で自分を納得させた。
ここで偶然同じクラブに属するジダンさんと遭遇、お互いの健闘を誓い合い、8:18スタートした。
こどもの国からW1の北山(標高603m、91km地点)までは下り基調ということは分かっているが、実際は東京電力の高圧線鉄塔の下を行く道で、小さな山と谷の連続で、前半で使ってしまった脚にはかなり堪える状況が続いた。また、10時にスタートしたSTYの選手が多く通過することで、シングルトラックのこの区間は、よこにずれて選手の通過を待つ時間が長くなり、少々つらいものがあった。
W1には10:48到着。ここではウォーターエイドということで、水のみの提供となる。気温が上がり、暑い。25度以上?
更に少しずつ高度を下げ、標高519m、102kmのA8西富士中学校には12:57に到着。ここは今までに無いくらい多くのランナーが休憩したり、滞在していた。
私はここでも食欲を発揮し、冷たいお汁粉と富士宮やきそばを3パック、更にはクリームパンとあんぱん、オレンジを頂き、これから入っていく天子山塊の最終点検を行って、最後に装備の点検の列に連なり、点検を受けたあと、12:02にコースに戻った。1時間5分の休憩は少々長かったが、元々の計画では15時であるから3時間の猶予がある。余裕を持って行動できていることが自分のこころの余裕になっている。
しばらくして空模様が怪しくなってきた。14時間をかけて次のエイドにたどり着く予定であるが、それまでに27kmの急峻な山道を進まなくてはならない。雨が降れば更にその気象条件によって工程に不利に働くことになる。雨よ、降らんでくれ、と心の中で叫ぶ。
一つ目の山、1330mの天子ヶ岳には16:01到着、まだこれからだ。
次の長者ヶ岳(1336m)には16:35到着。ここでの関門は23時。クリアだ。
雲守山1575mには18:29到着、天狗岳、湧水峠には気づかず通り過ぎていた。疲れている?雨が降り始めた。ノースフェイスの雨具を着る。上り続きで熱がこもる。
ヘッドライトに火を入れる。200ルーメンの明るさは、月の光の無い雨の闇夜には行き先を照らす力強い灯火だが、雨に光が拡散して光が頭から地面に十分に到達せず、足元がおぼつかなくなった。ザックの肩に付けているハンドライトの使用も考えたが、ストックが使えなくなることを考慮して使用を控えた。時間を確認すると気持ちが落ち込むと考え、時計を見ず、粛々と足を一歩一歩進め、上り下りを制覇するしかない。このときの頭にはそれだけだった。
1605mの雪見岳には19:28到着。ひたすら雨。ひたすら登り。金山、地蔵峠を経て最高標高地点の1945mの毛無山に到着。21:35。もう疲労困憊、ほとほと疲れた。この山は日本200名山に選ばれているとのことだか、今はその高さ、険しさが恨めしく感じる。
雨は降り続いている。大見岳を経て雨ヶ岳に到着する。23:09、1772m。トレイルはつるつるのどろどろで、いたるところでランナーが転んでおり、私もその一人と化して、勘定はしていないがおそらく50回以上転んだのではないだろうか?
こわかったのはガレ場で転倒し、脚や体が動けないようになること、そして雨で体が冷え、低体温症になることだった。一回だけ岩の上で転倒し、左のひじとわき腹をしたたか打ったが、なんとか動ける状態だったので、一休みして下って行った。
一旦下って、本栖湖に至るかと思いきや、そこに現れたのが竜ヶ岳1485m。やっとの思いで山の麓に到着したが、山頂に至る一筋の道を登っていくランナーのライトの光が麓から見えた瞬間、やる気は一気に削がれ、歩きにも精彩がなくなり、上っては休み、上っては休みの連続となった。この山は笹で覆われているが、途中なんども幻影を見ることになる。
2日前から寝ていないのでもっともなことだと思うが、目に入ってくる情報をそうと認識せず、全く違ったものとして認識するようだ。この現象は以前川の道フットレース255km、265kmに出場した際にも経験しており、違和感は無いが、認識しているものは全く違うもので、今回は居酒屋やお城、動物や外国の有名タレントに見えたりした。
それより今回びっくりしたのは、幻影に伴って幻聴があったということだ。こういうときは案外冷静だ。先ほど居酒屋と書いたが、居酒屋と思ったのは前を行くランナーのライトがいくつも重なり、お店のように見えたのだが、笹の葉が風でざわざわいうのが、居酒屋の会話に聞こえたりして面白かった。
山頂には1:09に到達。気持ちも体も限界となった。笹の葉を掻き分け 掻き分け、上り下りを繰り返し、何度もしりもちをついたり、前のめりに滑ったりしながら、A9に歩を進めていった。
A9、129km地点、標高906mの本栖湖スポーツセンターには2:23到着。かなり疲労しているのが自分でも分かる。脚は下りの踏ん張りが利かなくなっており、更には足の指はシューズの中で前に詰まることで爪が圧迫され、うっ血しており、重いザックを背負う背中も強烈な張りに悩まされていた。
このままゴールまで寝ないで行こうかと思ったが、計画では5時にここに到着することになっている。また、日の出を待っていったほうが山道は走り易いだろうと考え、1時間半寝ることにした。
さて、寝る場所は、・・・と探すも、既に一杯のようだったので、施設の通路の暖房の前でごろりと横になり、携帯の目覚ましをセットして(もちろん、他の人の迷惑にならないよう。バイブレーションで)瞬時のうちに睡眠に入った。
4時過ぎに携帯電話の振動で目覚める。ああ、このままもう少し寝ていたい・・・と思ったが、その思いを振り切り、起き上がる。あたりはまだ夜の帳(とばり)が開けていない。エイドのボランティアの皆さんも心なしかお疲れの様子だ。私たちランナーのために尽くしていただいている行為に、「ありがとうございます」ということばで応えると共に、時間内ゴールをすることを心の中で誓った。
起きてまずやったのは、コーヒーを2杯飲んだこと。そして施設の中で提供されている味噌汁、おにぎりを食べて元気を回復することだ。
食事を終え、身支度をしてコースに戻ったのが4:56。あと27kmの道のりをゆっくりゆっくり進んでいこうとこころに決める。
W2標高1025m、142kmの鳴沢氷穴には6:55に到着した。(計画では8時)残りが少なくなっていることもあり、元気がまた復活した。
五湖台に8:02到着。晴れていれば富士五湖が望めるということだが残念ながらすべてが見える状態ではなかった。富士山は、私の近くに、すくっと立っているようにたたずんでいた。
8:59、やっと河口湖のほとりに到着。長い 長い旅も終わりに近づいている。最後の脚を使って、アスファルトの平坦な道をゆっくり、ゆっくりと進んでいく。
沿道では、ゴールするランナーへの賛辞のことばが飛びかう。
「もうちょっとー。」
「がんばれー。」
「ラストー!」
「お疲れー!」
「よくやったー!」
ここまできたら自分の気持ちに正直になろう・・・と思った瞬間に涙がこぼれそうになる。
「ありがとう!」
「ありがとうございます。」
「本当にありがとうございます・・・。」
何度も何度も、この感極まってきちんとした声にならない「ありがとう」ということばで、応援してくれる沿道の方々にお応えする。
苦しくて、長くて、厳しくて、暑くて、寒くて、痛くて、疲れて、・・・・・それでもやっとここまで来れた。
ゴールと同時に鏑木さんからフィニッシャーズベストを手渡しされ、更に握手をしていただき、感無量となった。
5年の月日をかけてこのレースを企画し、実施にこぎつけた鏑木さんはじめ実行委員の皆さん、このレースを影で支えていただいたボランティアの皆さん、沿道で応援してくれた皆さん、いつも応援してくれる会社やお取引先の皆さん、一緒にこのレースを走ったランナーの皆さん、自宅や仕事先でこのレースの状況を固唾を呑んで見守ってくれたランニング仲間の皆さん、そして、いつも「またマラソン?」といいながら応援してくれる家族に感謝しつつ、筆を置くこととする。
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