第16回鯖街道ウルトラマラソン完走レポート
「京は遠くても十八里」
昔の人は、若狭から京への道をこう表現した。
若狭から京都へ至る多くの街道や峠道には、本来それぞれの固有の呼び名があり、近年、運ばれた物資の中で鯖が特に有名になったことから、これらの道を総称して「鯖街道」と呼ぶようになったとのことだ。
そのうち、最も盛んに利用された道は、小浜から上中町の熊川を経由して朽木を通り、京都の出町柳に至る若狭街道ということだが、この中で京への最短距離をとる峠道の針畑峠越えがあり、この道を通り76kmの行程を完走する大会が、この鯖街道ウルトラマラソンである。この道を昔の人のように「遠いように思えるがたった76km」と思うか、逆に「近いように思えるが、遠い76km」と思うか、それは人それぞれだ。
若狭から運ばれた鯖が京に着くころには、ちょうどいい塩加減になったと言われ、京食文化の中に若狭の魚が生きていることがわかる。さあ、私の今回のウルトラ挑戦はどのような塩加減になるか、楽しみだ。
大会の前々日、京都の北、大原に程近い静原の親戚の家に泊めてもらう。10数年前大阪に勤務していたとき、幼少の子供2人を連れてよく遊びにお邪魔していたお宅だ。最近は野生の猪が畑の作物を荒らし、たいそう迷惑しているという。もちろん、猿やカモシカも現れる、そんな自然豊かなところだ。
一泊させていただき昔話に花を咲かせた翌日、ご夫妻の計らいで、車でレースのスタート地点である小浜に送っていただけることとなった。途中、道の駅で名物の鯖寿司を食し満足したおなかを抱え、受付場所であるホテルせくみ屋に向かう。
15時から受付が始まる。14時半にホテルに到着し、待った私は、一番初めに手続きをし、ナンバーカードを受け取った。その番号は339。受け取ったとき頭にひらめいたのは、
「散々苦労する」というごろあわせだ。昨年のハセツネカップでのリタイヤが頭をよぎる。一緒に手続きを待ってくれていた親戚ご夫妻に、「散策のつもりで完走を目指します!」と意識的にごろあわせを伝え、こころをしゃんとさせる。
親戚ご夫妻にお礼を言いお別れし、今日の宿泊先である駅前のビジネスホテルれんが亭にチェックインし、市内観光と明日の朝食の買出しを行う。
小浜市は現在人口32,000人、ここ数年で1万人以上減少したとのことで、町にはなにか元気がない。土曜というのに駅前の商店街は、ほぼ全てのお店にシャッターが下りている。但し、江戸時代は水産業、海運業で栄えた街だけあって寺社仏閣が数多あり、過去の栄華が窺い知れる。
特に私が興味を持った点が2つある。大河ドラマ「江」の主人公の姉、初が嫁いだ京極家が領地として支配したこの小浜の地ということで、亡骸は常高寺に弔われている。
また、全国に人魚伝説でその名を伝える八百比丘尼の入滅の洞も、なにか800年生きたその印象を強く感じる。
鯖街道ウルトラマラソンの始まる朝は3時55分の起床から始まった。勿論Go!Go!の縁起かつぎである。6時のスタート、会場への到着を5時15分とし、準備を進める。昨日用意していた明走会の黄色のTシャツ、黒のスパッツを着、弁当・味噌汁をゆっくり摂った後、チェックアウトし、荷物を預けるため小浜フィッシャーマンズワーフ裏の公園に出向く。既に多くのランナーが終結しており、20度を超える気温の暑さも手伝って、熱気で会場は充満していた。
5時半にスタート地点となるいづみ町商店街の鯖街道起点に移動を開始、15分前に到着。参加者は思い思いにストレッチをしたり、写真を撮ったり、遠い京都の地に向けた行程に思いをふけったりしている。
ただ、おそらく多くのランナーは、昨日報じられていた今日の天気予報のことで気を揉んでいたと思う。勿論私もその一人だ。空は低いところにいぶし銀色の雲をまとい、先々の雨模様を予想される。
スタートのカウントダウンが始まる。1分前、そしてなんの前触れもなくいきなりピストルによる号砲、そして約400名の「本鯖」ランナーがスタートした。本鯖とは、76kmの小浜~京都のフルの区間を走る人を言い、梅ノ木から始まる42kmのハーフである「半鯖」と区別してこう呼ぶ。
小浜の街を離れ、遠敷(おにゅう)を経て東小浜駅に到着、6:30。
東大寺二月堂のお水取りで、その水の送り元と言われる鵜の瀬を6:55に過ぎる。ここから地中水脈を通じて二月堂まで水が通じているという話もわかるような、なんとも風情のある瀬だ。
7:01に第一エイド9.4km地点、下根来に到着。まだ雨は降ってこない。どうか降らないでくれ、そう思いつつ水分を補給する。10名ほどのボランティア皆さんの献身的なサポートに感謝しつつ、ここから始まる急激な登りに備える。
道にはあちらこちらに「みず」と書かれた標識があり、天然の水が常時流れている。飲まなかったがたいそう冷たくうまいことだろう。
舗装路を淡々と登っていき、たどり着いたのが15km地点上根来エイド。7:45到着。標高は345mだ。
トイレを済ませ、水分を補給し、鯖街道の本格的な登山道に到着。7:55。
8時を少し過ぎた頃、ざーっと雨が降り始める。ぽつぽつではない本格的な降りとなった。
根来坂峠エイド18.5kmには8:20到着、続いて8:40に根来坂峠に至る。19.6km地点、8:40。標高875m。ここから急激な山道の下りとなる。私の前を走るランナーが踏みしめた道はぬかるみ走りにくい。苦しいこれからの道のりを予想する瞬間だった。
9:21百里小屋エイドに到着、27km地点、標高450m。雨はどしゃぶりだ。雨のときは絹の靴下(夏木マリではない)である水はけの良いコクーンソックスを穿くが、今回は長い距離に備えてCEPのハイソックスでふくらはぎの筋肉を守ることにした。そんなわけで、シューズの中は水はけが悪く、じゃぶじゃぶとしながら走ることになった。
このエイドでは井戸からくみ上げた美味しい水とそうめん2杯、きゅうりを頂き、お礼のことばをスタッフの皆さんにお伝えし、エイドをあとにした。
ここから次のエイドまではだらだらとした舗装路の下り基調が続く。ピッチを刻み、いいペースで進めている。
10:22第4エイドの山本商店に到着。36km地点。36kmを4時間22分は、出来すぎだ。あまり頑張って走りすぎずに後半足がもつ様にじっくり走ろう。ここでは飲み物とオレンジを頂き、すぐスタートした。
川合の関門(38km地点)は11:30だったが、雨がひどく、どこが関門だか分からないうちに過ぎていた。
第5エイド41km地点の九多には10:55到着、標高385m。ここではおにぎりが1個いただける貴重な地点だ。ありがたくおにぎりを頂き、バナナと梅干を頂き、水分を補給したらおなかが痛くなった。きっと雨に打たれて体温が下がり、おなかが冷えたのだろう。トイレに駆け込むも2人の待ちがあり、ここで10数分の時間をロスした。残念だが仕方ない。これもレースの内だ。
ここからオグロ坂峠までは山道の急激な登りとなる。途中木が倒れていたり、道が崩れていたりと気がめいるが、それ以上に困ったのが大雨による体温の低下だ。昨年から使っているノースフェイスの撥水性能が一番高いゴアテックスの雨具を使っているが、どうしても走っていると首筋から雨が吹き込み、更には雨具の中で蒸発した水蒸気が外気に冷やされて冷たくなり体から熱を奪い、走りに影響を与えるようになってきた。なんとか止まないものか、雨よ。
12:08には第6エイド八丁平到着。46.8km地点、標高870m。この手前に京都では珍しい湿原が広がっていた。このエイドでは関西名物ひやしあめを堪能する。あまさが程よい。雨もあがってきた。よし、気合を入れよう。 12:52第7エイド大見到着、52km地点。ここではエイドでめずらしいコーヒー牛乳を頂く。あまくてこってりしていてこれがまたうまい。
13:45、第8エイド杉峠到着、56.8km地点。標高850m。大見からぐっと200mほど登っていたが、ここを境に京都まで下りとなる。やっと来た、感慨深くそんなことを考えた。
すると、ボランティアの方が、「琵琶湖が見えますよ」と言われ、指差された方角のはるか先に湖の姿を確認できた。
このエイドではそうめんを2杯頂く。つけ汁のしょっぱさがいい。走って塩分が抜けた体にしみこむ感じだ。
ここから舗装路の急激なくだりとなる。何度か走った事のあるランナーの方に伺うと、「今まで足を使ってしまった人には堪える下りだよ。」とのこと。確かに峠の下りで太ももの前側の筋肉を使っているので、かなり負担となる。私は出来るだけ小またで、しかもできるだけ負担を少なくするよう、着地で強く足をつかない様工夫して走り降りて行った。
この舗装路はかなり交通量も多く、道のへりを走らないと車とぶつかる危険性があるため、注意して走る事にした。
それにしても下りでがんがん飛ばしていく人の多いこと。私を抜いていくそういう人たちを横目に見ながら私は、左太もも前の筋肉の痛みを感じながら、だましだまし歩を進めていった。
14時半に鞍馬の古い町並みが見えてきた。もうすぐエイドだ。鞍馬寺を過ぎるとすぐにエイドが見えてきた。
14:38第9エイド鞍馬到着、63.6km地点。標高275m。7kmで600m弱下りてきた勘定だ。激しく下ってきた道を振り返る。ここではグレープフルーツを2切れ頂く。すっぱさと甘さがとても心地よい。美味しい。
14:40鞍馬駅でトイレを借りて次のエイドに向けてスタートする。
15時丁度に第10エイドの市原に到着、66.7km地点。ここの関門閉鎖は16:30だ。余裕を持って関門をクリアする。バナナ、パンと飲み物を頂いた。ここでは静原の親戚ご夫婦が雨降りの中、長いこと私を待ってくれていたとのこと。感謝!
エイドで手伝う子供たちの頑張ってくださいの声を背に受け、ゴールに向けた最後の旅路につく。加茂川沿いに緩やかに下る舗装路をたんたんと進んでいく。ここらあたりでは歩いている参加者も多く、更には、半鯖(42km)に出たランナーもいて、私は㌔6分程度のスローペースでありながら、かなり多くのランナーを抜きながら、前へ前へ進んでいく。
最後のエイドとなる西加茂橋南エイド71.5km地点には15:30到着。あと4.5kmだ。こうなると少し欲が出てくる。ウルトラマラソンでは「サブ10」という言葉がある。100kmを10時間以内で走ることだが、これは富士登山競走(頂上コース)時間内完走、フルマラソンサブスリー(3時間以内完走)とあわせて3つ達成すると、「トリプルクラウン」という称号がもらえるようなすごい記録と言われる。そのうちのひとつの記録、形は違えど、サブ10をこの本鯖76kmで出来ないかと思い始めた。
ところが、自分の気持とは裏腹に脚が前に出ない。この4.5kmはとても長く感じた。鞍馬であった別のランナーからは、「昨年も走ったんですが、鞍馬の下りを下った脚は、平地である加茂川沿いの平らな道に来るとなぜか脚がつるんですよね」と言われた。幸い私は脚がつることはなかったが、脚は前に出ないのだった。
時間は刻々と過ぎていく。最後のエイドからいくつの橋の下を通り過ぎたろう。最後の橋の左手から上り、橋を左側から右側に渡り、走路誘導の方から「あと1kmないよ」と言われ時計を見るも、そこには15:57の文字が。
ゴールが見えてきた。あと200mだ。遠くからエントリーしたときに書いたメッセージがスピーカーを通して聞こえてきた。
「埼玉県から来た森田さん。震災に対し何か出来ることはないかないかと始めたのがRUN×20(1km走るごとに20円募金すること)。ランナーとして出来ることを小さなことから少しずつ」。
さあ、ゴールだ。やっと帰ってきた。すでにゴールしたランナー、その関係者、そして大変お世話になった大会関係者の皆さんが待つゴールに到着した。10:01:30。
残念ながら10時間切りはならなかったが、自分の中ではやりきったという気持が大きく膨らんでいった。大雨、累計標高差2000m強の山道、練習不足の体の状態で、やるだけのことはやったと思う。これが出来たのも大雨が降る中、私達ランナーをサポートしていただいたボランティアの皆さん、大会関係者の皆さん、応援してくれた親戚のご夫婦、そしてレースに送り出してくれた家族がいたからこそだ。心から感謝する。
ゴールラインを通過するや否や、ゴールタイムがかかれたメモを渡され、完走賞である焼き鯖とアノラックを頂き、すかさず準備されたスタート時に預けた荷物を受け取り、汗をぬぐったあと、先ほどのメモを記録証の係の方にお渡しし記録証を作成してもらい、そのあと豚汁でおなかを満たしてゴール地点をあとにした。
記録証の係の方から頂いた銭湯入浴券を握りしめ、レース後の重たいからだで重たい荷物を持ちながら、600m先の東山湯を目指す。
汗を流し、少しふくらはぎのマッサージをしながら湯船に浸かり、体をリセットして帰途に着いた。
バスで百万遍から京都に出て、ビール2本とお弁当を買い、18:16発のぞみの車窓の人となり、22時に自宅に到着、無事に今回の旅は終わった。
ウルトラマラソンは自分の脚だけで進む旅、と私のウルトラの師匠、夜久弘さんは言う。
昔の人は自分の脚で長い距離を歩き、目的地まで到着した。ウルトラマラソンはレースという意味合いより、1日(あるいは超ウルトラの場合はそれ以上)かけて目的地まで到達するその道程を楽しむことがウルトラの醍醐味ではないかと最近思う。これからもウルトラが走れる体つくり、こころつくりをしながら、この長い距離・時間を楽しんでいきたい。
以上。
昔の人は、若狭から京への道をこう表現した。
若狭から京都へ至る多くの街道や峠道には、本来それぞれの固有の呼び名があり、近年、運ばれた物資の中で鯖が特に有名になったことから、これらの道を総称して「鯖街道」と呼ぶようになったとのことだ。
そのうち、最も盛んに利用された道は、小浜から上中町の熊川を経由して朽木を通り、京都の出町柳に至る若狭街道ということだが、この中で京への最短距離をとる峠道の針畑峠越えがあり、この道を通り76kmの行程を完走する大会が、この鯖街道ウルトラマラソンである。この道を昔の人のように「遠いように思えるがたった76km」と思うか、逆に「近いように思えるが、遠い76km」と思うか、それは人それぞれだ。
若狭から運ばれた鯖が京に着くころには、ちょうどいい塩加減になったと言われ、京食文化の中に若狭の魚が生きていることがわかる。さあ、私の今回のウルトラ挑戦はどのような塩加減になるか、楽しみだ。
大会の前々日、京都の北、大原に程近い静原の親戚の家に泊めてもらう。10数年前大阪に勤務していたとき、幼少の子供2人を連れてよく遊びにお邪魔していたお宅だ。最近は野生の猪が畑の作物を荒らし、たいそう迷惑しているという。もちろん、猿やカモシカも現れる、そんな自然豊かなところだ。
一泊させていただき昔話に花を咲かせた翌日、ご夫妻の計らいで、車でレースのスタート地点である小浜に送っていただけることとなった。途中、道の駅で名物の鯖寿司を食し満足したおなかを抱え、受付場所であるホテルせくみ屋に向かう。
15時から受付が始まる。14時半にホテルに到着し、待った私は、一番初めに手続きをし、ナンバーカードを受け取った。その番号は339。受け取ったとき頭にひらめいたのは、
「散々苦労する」というごろあわせだ。昨年のハセツネカップでのリタイヤが頭をよぎる。一緒に手続きを待ってくれていた親戚ご夫妻に、「散策のつもりで完走を目指します!」と意識的にごろあわせを伝え、こころをしゃんとさせる。
親戚ご夫妻にお礼を言いお別れし、今日の宿泊先である駅前のビジネスホテルれんが亭にチェックインし、市内観光と明日の朝食の買出しを行う。
小浜市は現在人口32,000人、ここ数年で1万人以上減少したとのことで、町にはなにか元気がない。土曜というのに駅前の商店街は、ほぼ全てのお店にシャッターが下りている。但し、江戸時代は水産業、海運業で栄えた街だけあって寺社仏閣が数多あり、過去の栄華が窺い知れる。
特に私が興味を持った点が2つある。大河ドラマ「江」の主人公の姉、初が嫁いだ京極家が領地として支配したこの小浜の地ということで、亡骸は常高寺に弔われている。
また、全国に人魚伝説でその名を伝える八百比丘尼の入滅の洞も、なにか800年生きたその印象を強く感じる。
鯖街道ウルトラマラソンの始まる朝は3時55分の起床から始まった。勿論Go!Go!の縁起かつぎである。6時のスタート、会場への到着を5時15分とし、準備を進める。昨日用意していた明走会の黄色のTシャツ、黒のスパッツを着、弁当・味噌汁をゆっくり摂った後、チェックアウトし、荷物を預けるため小浜フィッシャーマンズワーフ裏の公園に出向く。既に多くのランナーが終結しており、20度を超える気温の暑さも手伝って、熱気で会場は充満していた。
5時半にスタート地点となるいづみ町商店街の鯖街道起点に移動を開始、15分前に到着。参加者は思い思いにストレッチをしたり、写真を撮ったり、遠い京都の地に向けた行程に思いをふけったりしている。
ただ、おそらく多くのランナーは、昨日報じられていた今日の天気予報のことで気を揉んでいたと思う。勿論私もその一人だ。空は低いところにいぶし銀色の雲をまとい、先々の雨模様を予想される。
スタートのカウントダウンが始まる。1分前、そしてなんの前触れもなくいきなりピストルによる号砲、そして約400名の「本鯖」ランナーがスタートした。本鯖とは、76kmの小浜~京都のフルの区間を走る人を言い、梅ノ木から始まる42kmのハーフである「半鯖」と区別してこう呼ぶ。
小浜の街を離れ、遠敷(おにゅう)を経て東小浜駅に到着、6:30。
東大寺二月堂のお水取りで、その水の送り元と言われる鵜の瀬を6:55に過ぎる。ここから地中水脈を通じて二月堂まで水が通じているという話もわかるような、なんとも風情のある瀬だ。
7:01に第一エイド9.4km地点、下根来に到着。まだ雨は降ってこない。どうか降らないでくれ、そう思いつつ水分を補給する。10名ほどのボランティア皆さんの献身的なサポートに感謝しつつ、ここから始まる急激な登りに備える。
道にはあちらこちらに「みず」と書かれた標識があり、天然の水が常時流れている。飲まなかったがたいそう冷たくうまいことだろう。
舗装路を淡々と登っていき、たどり着いたのが15km地点上根来エイド。7:45到着。標高は345mだ。
トイレを済ませ、水分を補給し、鯖街道の本格的な登山道に到着。7:55。
8時を少し過ぎた頃、ざーっと雨が降り始める。ぽつぽつではない本格的な降りとなった。
根来坂峠エイド18.5kmには8:20到着、続いて8:40に根来坂峠に至る。19.6km地点、8:40。標高875m。ここから急激な山道の下りとなる。私の前を走るランナーが踏みしめた道はぬかるみ走りにくい。苦しいこれからの道のりを予想する瞬間だった。
9:21百里小屋エイドに到着、27km地点、標高450m。雨はどしゃぶりだ。雨のときは絹の靴下(夏木マリではない)である水はけの良いコクーンソックスを穿くが、今回は長い距離に備えてCEPのハイソックスでふくらはぎの筋肉を守ることにした。そんなわけで、シューズの中は水はけが悪く、じゃぶじゃぶとしながら走ることになった。
このエイドでは井戸からくみ上げた美味しい水とそうめん2杯、きゅうりを頂き、お礼のことばをスタッフの皆さんにお伝えし、エイドをあとにした。
ここから次のエイドまではだらだらとした舗装路の下り基調が続く。ピッチを刻み、いいペースで進めている。
10:22第4エイドの山本商店に到着。36km地点。36kmを4時間22分は、出来すぎだ。あまり頑張って走りすぎずに後半足がもつ様にじっくり走ろう。ここでは飲み物とオレンジを頂き、すぐスタートした。
川合の関門(38km地点)は11:30だったが、雨がひどく、どこが関門だか分からないうちに過ぎていた。
第5エイド41km地点の九多には10:55到着、標高385m。ここではおにぎりが1個いただける貴重な地点だ。ありがたくおにぎりを頂き、バナナと梅干を頂き、水分を補給したらおなかが痛くなった。きっと雨に打たれて体温が下がり、おなかが冷えたのだろう。トイレに駆け込むも2人の待ちがあり、ここで10数分の時間をロスした。残念だが仕方ない。これもレースの内だ。
ここからオグロ坂峠までは山道の急激な登りとなる。途中木が倒れていたり、道が崩れていたりと気がめいるが、それ以上に困ったのが大雨による体温の低下だ。昨年から使っているノースフェイスの撥水性能が一番高いゴアテックスの雨具を使っているが、どうしても走っていると首筋から雨が吹き込み、更には雨具の中で蒸発した水蒸気が外気に冷やされて冷たくなり体から熱を奪い、走りに影響を与えるようになってきた。なんとか止まないものか、雨よ。
12:08には第6エイド八丁平到着。46.8km地点、標高870m。この手前に京都では珍しい湿原が広がっていた。このエイドでは関西名物ひやしあめを堪能する。あまさが程よい。雨もあがってきた。よし、気合を入れよう。 12:52第7エイド大見到着、52km地点。ここではエイドでめずらしいコーヒー牛乳を頂く。あまくてこってりしていてこれがまたうまい。
13:45、第8エイド杉峠到着、56.8km地点。標高850m。大見からぐっと200mほど登っていたが、ここを境に京都まで下りとなる。やっと来た、感慨深くそんなことを考えた。
すると、ボランティアの方が、「琵琶湖が見えますよ」と言われ、指差された方角のはるか先に湖の姿を確認できた。
このエイドではそうめんを2杯頂く。つけ汁のしょっぱさがいい。走って塩分が抜けた体にしみこむ感じだ。
ここから舗装路の急激なくだりとなる。何度か走った事のあるランナーの方に伺うと、「今まで足を使ってしまった人には堪える下りだよ。」とのこと。確かに峠の下りで太ももの前側の筋肉を使っているので、かなり負担となる。私は出来るだけ小またで、しかもできるだけ負担を少なくするよう、着地で強く足をつかない様工夫して走り降りて行った。
この舗装路はかなり交通量も多く、道のへりを走らないと車とぶつかる危険性があるため、注意して走る事にした。
それにしても下りでがんがん飛ばしていく人の多いこと。私を抜いていくそういう人たちを横目に見ながら私は、左太もも前の筋肉の痛みを感じながら、だましだまし歩を進めていった。
14時半に鞍馬の古い町並みが見えてきた。もうすぐエイドだ。鞍馬寺を過ぎるとすぐにエイドが見えてきた。
14:38第9エイド鞍馬到着、63.6km地点。標高275m。7kmで600m弱下りてきた勘定だ。激しく下ってきた道を振り返る。ここではグレープフルーツを2切れ頂く。すっぱさと甘さがとても心地よい。美味しい。
14:40鞍馬駅でトイレを借りて次のエイドに向けてスタートする。
15時丁度に第10エイドの市原に到着、66.7km地点。ここの関門閉鎖は16:30だ。余裕を持って関門をクリアする。バナナ、パンと飲み物を頂いた。ここでは静原の親戚ご夫婦が雨降りの中、長いこと私を待ってくれていたとのこと。感謝!
エイドで手伝う子供たちの頑張ってくださいの声を背に受け、ゴールに向けた最後の旅路につく。加茂川沿いに緩やかに下る舗装路をたんたんと進んでいく。ここらあたりでは歩いている参加者も多く、更には、半鯖(42km)に出たランナーもいて、私は㌔6分程度のスローペースでありながら、かなり多くのランナーを抜きながら、前へ前へ進んでいく。
最後のエイドとなる西加茂橋南エイド71.5km地点には15:30到着。あと4.5kmだ。こうなると少し欲が出てくる。ウルトラマラソンでは「サブ10」という言葉がある。100kmを10時間以内で走ることだが、これは富士登山競走(頂上コース)時間内完走、フルマラソンサブスリー(3時間以内完走)とあわせて3つ達成すると、「トリプルクラウン」という称号がもらえるようなすごい記録と言われる。そのうちのひとつの記録、形は違えど、サブ10をこの本鯖76kmで出来ないかと思い始めた。
ところが、自分の気持とは裏腹に脚が前に出ない。この4.5kmはとても長く感じた。鞍馬であった別のランナーからは、「昨年も走ったんですが、鞍馬の下りを下った脚は、平地である加茂川沿いの平らな道に来るとなぜか脚がつるんですよね」と言われた。幸い私は脚がつることはなかったが、脚は前に出ないのだった。
時間は刻々と過ぎていく。最後のエイドからいくつの橋の下を通り過ぎたろう。最後の橋の左手から上り、橋を左側から右側に渡り、走路誘導の方から「あと1kmないよ」と言われ時計を見るも、そこには15:57の文字が。
ゴールが見えてきた。あと200mだ。遠くからエントリーしたときに書いたメッセージがスピーカーを通して聞こえてきた。
「埼玉県から来た森田さん。震災に対し何か出来ることはないかないかと始めたのがRUN×20(1km走るごとに20円募金すること)。ランナーとして出来ることを小さなことから少しずつ」。
さあ、ゴールだ。やっと帰ってきた。すでにゴールしたランナー、その関係者、そして大変お世話になった大会関係者の皆さんが待つゴールに到着した。10:01:30。
残念ながら10時間切りはならなかったが、自分の中ではやりきったという気持が大きく膨らんでいった。大雨、累計標高差2000m強の山道、練習不足の体の状態で、やるだけのことはやったと思う。これが出来たのも大雨が降る中、私達ランナーをサポートしていただいたボランティアの皆さん、大会関係者の皆さん、応援してくれた親戚のご夫婦、そしてレースに送り出してくれた家族がいたからこそだ。心から感謝する。
ゴールラインを通過するや否や、ゴールタイムがかかれたメモを渡され、完走賞である焼き鯖とアノラックを頂き、すかさず準備されたスタート時に預けた荷物を受け取り、汗をぬぐったあと、先ほどのメモを記録証の係の方にお渡しし記録証を作成してもらい、そのあと豚汁でおなかを満たしてゴール地点をあとにした。
記録証の係の方から頂いた銭湯入浴券を握りしめ、レース後の重たいからだで重たい荷物を持ちながら、600m先の東山湯を目指す。
汗を流し、少しふくらはぎのマッサージをしながら湯船に浸かり、体をリセットして帰途に着いた。
バスで百万遍から京都に出て、ビール2本とお弁当を買い、18:16発のぞみの車窓の人となり、22時に自宅に到着、無事に今回の旅は終わった。
ウルトラマラソンは自分の脚だけで進む旅、と私のウルトラの師匠、夜久弘さんは言う。
昔の人は自分の脚で長い距離を歩き、目的地まで到着した。ウルトラマラソンはレースという意味合いより、1日(あるいは超ウルトラの場合はそれ以上)かけて目的地まで到達するその道程を楽しむことがウルトラの醍醐味ではないかと最近思う。これからもウルトラが走れる体つくり、こころつくりをしながら、この長い距離・時間を楽しんでいきたい。
以上。
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