わこわこマラソンクラブ

3/18/2007

第41回青梅マラソン!






マラソンクラブ投稿第三弾ということで、2007年2月4日に行われた青梅マラソンについてレポートします。私が青梅マラソンに出走したのはこれで2回目、昨年までこの大会は大勢のランナーがエントリーするために抽選でしたが、今年からは先着制(たぶん全員が走れたと思います)になりました。理由はおそらく、東京マラソンの影響と思われます。もともと今年2月18日の日程で行われていたのが青梅マラソンで、東京マラソンに押されて日程が変更となり、エントリー数の減少を予想してエントリー方法が変更になったと思われます。しかし、以前にエントリーしても走れなかった私としてはうれしいことです。東京マラソンは8月にエントリー済みでしたが、この青梅マラソンも9月の頭にエントリーを済ませました。10月からは、ランナーズの主催する「オクトーバーラン」にエントリーし、月間200kmほど走りました。日ごろ忙しい私としては結構がんばったと思います。11、12月は少々休みがちでしたが、1月は240kmほどはしり、なんとか走りきる自信をつけることができました。そして、本番。当日朝11:50スタートでしたが、10:30ごろにゴールすぐ前のうなぎやさんの2階に集合。これは私が昨年3月から入会したマラソンクラブの仲間で集まることになった場所です。30名弱のメンバーが集合し、当日のがんばりを約束しあいます。和光市を出たときはかなり風が吹いており、はしりに影響するのではと思っていましたが、実際は風はそれほどでもなく、風に雲が吹き飛ばされたのか、全天青空のもとでのスタートでした。昨年はスタートするまでに確か10分ほどかかったと思いますが、今年は陸連に登録したせいか、割と前のほうからのスタートで、石原都知事と河野洋平さんが号砲を鳴らしたわずか1分ほど後でのスタート地点通過でした。昨年は正月前からの走り込みで(とはいっても低レベルですが)、早朝ランをあまり準備体操もせず走っていたところ、青梅マラソンの直前に臀部の深いところに鈍い痛みを覚え(症状は、りじょう筋の損傷)、スポーツクリニックでマッサージと鍼をうってもらってやっとなんとか走れる状態になったので、今年は準備万全とはいえないまでも走れることで喜び一杯でした。
スタートは河辺駅から5分ほど歩いたところにある国道で、青梅から奥多摩に向けて前半は皆一様に坂を登って行きます。とにかく18000人のランナーが出走するため、スタート地点から右にクランクするところのガードレールには布団が巻いてあり、選手への心使いが身にしみます。2キロほど過ぎると、道の右手にレコード屋さんが見えてきます。ここでは「帰ってこいよ」という演歌が繰り返し繰り返しかかり、選手を勇気つけます。また、その先を行くと、和太鼓の演奏があったり、ロックの演奏があったりと、なにかと元気をもらえます。10kmすぎあたりからは左手に渓谷が見え始め、その一番下にはまだ上流の風情を残す川が川面を銀色に見せてきます。沿道には多くのおばちゃん、おじちゃん、そして子供たちの応援が響き、私たちランナーの疲れを癒してくれます。若い人たちがいないじゃないか・・という指摘を受けるかもしれませんが、たまたま私の印象がそういう感じだったのでご容赦のほど。
そのころには折り返してきたランナーとすれ違います。とにかくすごいスピード。練習の賜物です。私も50歳までにサブスリー(フルマラソンを3時間以内で走ること)を目標にがんばることを昨年の5月に決めましたので、それから目標に向かい練習あるのみです。
青梅マラソンは30kmレースなので折り返しは15キロですが、前半登り基調にもかかわらず割と足取りも軽く、調子もいい感じで、後半ものこり8km地点くらいまでは良かったのですが、たしかのこり8kmと5kmあたりにすこし登るところがあり、そこでスピードが落ちてしまいましたが、なんとか沿道の声援を受けて走っていきます。沿道からは、私設エイドと称して、飲み物やチョコ、あめなど、自費でいろいろなものを用意してくれて、それを見ず知らずのランナーに差し出してくれます。中でも特徴的なのは、ヤクルトの差し入れが多いこと。これは昨年走った那覇マラソンと共通するところがあります。
そして、なんとかゴールへ。2時間25分で、故障明けの昨年から35分はやくゴールすることが出来ました。決してタイムは速いものではありませんが、私としては出来すぎのレースでした。
フィニッシュ後は、マラソンクラブの仲間と、うなぎやさんで刺身とうなぎを肴にビールをたんといただきました。やっぱり走ることは楽しい。いつまでも続けたい、そんな趣味です。