わこわこマラソンクラブ

10/10/2009

信越五岳トレイルランニングレース2009完走レポート

「9月に良い大会があるんですよ。出ませんか?私も出ますので・・・」7月も終わりに近づいてきたある金曜の夜、会社帰りに立ち寄ったいつもの行きつけのスポーツショップ アートスポーツ池袋店の鈴木店長さんにこう言われました。その日に私がお店を訪れた理由は、9月にどちらかにエントリーをしようと考えていた雁坂峠越え143kmウルトラマラソンと京丹後ウルトラマラソン100kmの情報を仕入れようとするためでした。店長との会話の中で、いかにその大会がすばらしいかを切々と聞かされた私は、その話があった一週間後、私は信越五岳トレールランニングレースにエントリーしたのでした。
すでに京丹後ウルトラにエントリーの決意を決めかけていて、「よっしゃ、ウルトラまた走るどー!」となる予定だったのが店長の一押しでなぜ信越五岳になったのか?それは、今までいろいろなレースに出てきた私が、ウルトラの師匠である夜久さんの事務所に行ったとき聞いた話がひとつの理由でした。「私が一番幸せだと思う人はまだウルトラをやったことが無い人だと思う。それはあのウルトラを初めて走ったときのあの感動を味わうことが出来るから」そう、私はトレールという感動を味わうために出場する。
もうひとつの理由は私の過去に関わるものです。小さいころから運動神経が乏しく、賞を取るなんて事に縁遠かった私がウルトラマラソンの世界に入ったきっかけは2004年のサロマ湖ウルトラマラソンで完走し、ゴールでボランティアのおばちゃんにかけてもらった完走メダルを貰えたという単純なものでした。もちろん100kmを走った感動は特別なものがありましたが、完走した全ての人が同じメダルを首にかけてもらい祝福される、そしてそれが自分の勲章として、仕事や社会で生きていく上での大きな自信になったことはいうまでもありません。今回の大会パンフを見ていて「完走者には名前入りの盾を表彰式に一人ひとり手渡しします」という文言にぐっとひきつけられ、思いもしない今回のエントリーになったのでした。
エントリーを済ませ、話を聞いた翌週にまた鈴木店長を訪問すると、「森田さん、あれってきついようですよ。でもなんとか時間内完走しましょうね。」(・・・・・それはないだろうー!はやく言ってくれ。わたしゃ初心者、しかも山を100kmも走れるなんて考えもしないのにー。と思いつつ、)「店長、もう覚悟を決めたので、100kmトレールを走るための装備と練習方法を教えてください。」と告げ、シューズやウェアを購入、月末にして小遣いピーピーとなってしまったのでした。そして、8月に行われる大会のコースデザイナーである、プロトレールランナー石川弘樹さんのセミナー受講と高尾山トレールをすることを店長と約束しました。
月は変わり8月、まずは高尾山登山をしようと9日にホリデー川口湖号に乗り、高尾山口へ。高尾山はミシュランの観光地3つ星をゲットしたとのことで猛烈な込み方で、さらにケーブルカーの終着点に出来たビアステージに行くあまたのお客様の影響でこれまた混雑という様相を呈していました。頂上まで599m、登山道は7つあり、どのルートを通っても通常上り90分、下り70分程度かかるとルートマップに書いてあります。上り下りを3回繰り返し、16kmほど3時間20分ほど練習しました。慣れないトレールでうまく走ることはできず、また日頃走るときに使う筋肉と違うところがぱんぱんに張り、ハードな一回目の試走でした。「こんなんでだいじょうぶやろか?」というのがそのときの実感でした。
12日には石川選手の今回の大会のコースガイドと走り方のレクチャーがアートスポーツ渋谷店で行われました。25名ほどの受講者が集まっていましたが、石川選手から「今回トレールレースに初めて参加される方は?」と質問され、さっと手を挙げたのは私だけ。周りの人の白い目が私に注がれたのは言うまでもありません。(こりゃーいかん、真面目に作戦考えて、練習もせにゃー、と痛切に実感)
15日と23日には高尾山登山と高尾陣場往復20km(通常所要時間13時間)を実施、4時間57分と4時間30分で走破、なんとか希望が見えてきました。
自宅近くの坂道練習数回とロード数回、そして30日に開かれた鶴沼ウルトラマラソン52km(5:43)をこなし、当日を迎えました。
9月21日のお昼すこし前に自宅を出発、12:50発大宮発あさま523号⇒長野14:09到着。15時発の送迎バスで選手登録及びウエルカムパーティーの開かれる斑尾高原スキー場レストランハイジに向かいます。16時過ぎに到着し、エントリー登録を済ませ、パーティー会場へ。アートスポーツ鈴木店長とお客さんの斉藤さん、川の道フットレースでご一緒したチームランマツの松崎さんご夫妻とその友人の今野さんご夫妻、ランナーズの柴田さん、そして私が勝手に姉貴としたう明走会の鈴木富子さんと楽しい夕餉のひと時をご一緒させていただき明日の健闘を祝しました。
その後、今日の宿である「ウッドペッカー」に到着したのが19時半、ゆっく風呂に入り、長旅の疲れをとることに。そして部屋に入りドロップバッグ(5Aポイントに送る荷物)をつめて、3:55に携帯電話の目覚ましをセットしてベッドに入りました。起きるのは4時でと思っていましたが、55=Go!Go!をひっかけて縁起を担いだわけです。9時なんて早い時間に床についたことは無いのと、明日のレースことを考えていたらなかなか寝付けなくて結局12時ごろまで眠れず時間ばかりが過ぎていきました。
3:55に起床。まず歯を磨きトイレを済ませます。そして荷物の再チェックを行い、明走会の黄色のTシャツ・サロモンのウィンドジャケット・CWXタイツ・ナイキの9インチショートパンツを着込み、気持ちを落ち着けます。そして左手の甲に第一関門4A 52km地点15:30、第二関門5A 66km地点18:30、第三関門7A 89km地点23:30とボールペンで書き込みます。それは時間内完走、しかも関門に引っかからないようにするためです。また、手のひらには、100kmのコース高低表を記載し、どういう標高の推移となっているかをあらかじめ書いておきました。これも事前の準備のひとつです。
重い荷物を持って10分ほど歩いて朝食会場へ。すでに多くのランナーが朝食を取っています。昨日の飲み放題・食べ放題の夕食会と違い、「おにぎり一個、パン1個、バナナ1本」と制限があります。その3点とオレンジジュースと珈琲を頂き、スタート地点に移動し5:30の号砲を待ちます。10,9,8,7とカウントダウン、そして石川弘樹さんのホーン(よくF1の応援で鳴らす「ボワーッ」というやつ)による合図で500名のランナーが思い思いの気持ちを胸にスタートゲートを過ぎていきます。ゼッケン番号387の私はといえば、スタートの5分前から降り始めた小雨がこれからどうなるかを心配していて、わくわく気分には到底なれませんでいたが、ゲートを通過するときに、小さな声を出して「脚、頼むよ、体、最後まで頼むよ」と声をかけたのでした。
雨がぽつぽつ降り注ぐ斑尾高原の雨露に濡れる薄に覆われたスキー場を徐々に高度を上げていきます。林道、ダブルトラックを上り下りしながら10km地点通過、1時間13分経過。よいペースで1Aエイド到着、時間は7:45、2時間15分経過。(20km地点は2時間45分経過)
3分の休憩の後、いよいよ第一峰の斑尾山上りに入ります。このころには雨はあがり、景色も見え始めつつありました。斑尾山は信越(地元の方は、北信五岳と言います)五岳で唯一東側に離れて鎮座する山で、標高1382m、五岳で一番低いですが山頂から四方へ尾根が複雑に張り出し、風格のある山です。
今回のレースの全体を通しての作戦は、①時間を目一杯使って完走する(制限時間は22時間、3:30までにゴールすること)②8つあるエイドステーションで長居しない③上りは歩く、平坦に近いところは出来るだけ走る(平地は勿論走る)④上りで途中休まないです。この4つを守り完走することを考え、実行する最初の試練です。険しい山道、一時も休まず、登頂。8時18分。山頂から見る野尻湖と妙高などの山の美しいこと。きっとこれもトレールの魅力なのでしょう。山頂で、朝食時採ることを忘れていたガスター10を1錠服用。これも前回の川の道255kmフットレースの時に主催者の舘山さんから教えていただいた「ガスター10は8時間に1回服用すれば胃の不調も不快感もなく走ることが出来る。」という教えを忠実に守り、8時間ごとに今回もとることを計画していました。結局この作戦は功を奏し、結果的に胃はすこぶる元気に最後まで機能することとなりました。
斑尾山を下りきったところに出てきたのが2Aエイド、8:57到着。3時間27分経過。ここでは飲料とバナナ、パワーバーを補給します。ここで5分休憩し、トイレを済ませコースへ戻ります。ここからはかま岳を越えて40km地点にある第3エイドに向かいます。シングル・ダブルトラックの両脇には蕎麦の畑があり、そばが花をつけていて、それは綺麗です。峠の中腹にある30km地点通過は10:02、4時間32分経過。この時間の推移はかなり良しとしなければなりません。逆にちょっと速過ぎ?心配も芽生えてきます。この当たりでだいぶ人がばらけてきて、いても前後に一人二人という状態なってきました。山の中を一人で進むと、昼日中なのに熊が出るんじゃー無いか」と心配し、大きな咳払いをしたりしてみます。それくらい静かな山の中のランです。文中にあるシングルトラックとダブルトラックの違いは、山の中についた轍の数です。道路としてある程度整備され、砂利などがしいてあるものを林道といいます。今回のこのコースは、林道、シングル・ダブルトラックが全体の95%以上を占めるという本格的なトレールコースに仕上がっています。
第3エイドには11:10到着、5時間40分経過。40km地点。やはりマラソンとは違う世界。時間がかかります。ここでの順位はおそらく真ん中くらいと想像していましたが、すでにスポーツドリンクのムサシがなくなっていることから、多くのランナーが私の先を行っていることと、これからさきのエイドでは食料が不足することも考えられると判断しました。(結果的にはそれは杞憂となりましたが)ここではまんじゅうやパワーバー、バナナを補給、とにかく食べられるときは食べるという思想の元じゃんじゃん食べます。
エイドを出て7,8kmほど川沿いの上り基調の砂利道を走ります。この当たりで多くの歩きのランナーを抜いていきます。右手に妙高山、正面に黒姫を望みながら脚を進めていきます。妙高山は2454m、複式火山で仏教で世界の中心にあるとされる須弥山の別名を持ち、後方の火打山とともに日本100名山に選ばれていて、神々しい感じがする山です。黒姫山は、私が小さいときこの名前の力士がいたので馴染み深い名前ですが、別名「信濃富士」とも呼ばれ女性的な優しさがなんとなくする、そんな美しい山です。4A手前の45km地点からのぼりが険しくなり、歩きとなります。休まずどんどん歩き第4エイドへ。51.5km地点、13:03到着。ここでトイレと12分の休憩を取ります。地元の名物、笹寿司を3つとバナナを頂き、ボランティアの皆さんの元気をもらって出発です。4Aから5Aまでは黒姫山と妙高山の中腹を走る(歩く?)上り基調のコースで、なかなかハードです。上りに入る手前は黒姫スキー場で行われているコスモス祭で、地元の方が植えたコスモス(なんと100万本!)の群生を愛で、心に元気が宿ったところで更に歩を進めます。60km地点通過は14:39、9時間9分経過。このあたりになると、気持ちがすこし折れそうになる自分がいます。しかも強烈な上り坂がこの先も続きます。でも、応援してくれている人たちのことを考えれば、そう簡単に「リタイア」なんてことは考えれないし、自分の「なんとしても完走するという覚悟」にうそをつくことになります。私はいつもレースに出ると、頭の中であるいは声を出して何か歌を歌うようにして元気な自分を呼び戻すことにしています。多くの場合、それは母校明治の校歌であったりしますが、今回はなぜか21日に最終回を迎えたドラマ「ブザービート」に使われていたB'Zの歌でした。おそらく頭に中に100回以上この曲が流れたことでしょう。そして頑張って自分の目的を果たそうとする主人公2人のことを考えつつ。5A手前数キロから笹ヶ峰高原の牧場の中を通り抜けます。このあたりでは、すこしの上り基調になったところで歩きが入り、そのあと平地に近くなってもなかなか走ることに踏ん切りがつかない私でしたが、牧場の中でキャンプをされているご家族からキムチを頂き、それを頂いたとたんにどーんと元気が出て5Aまで走ることが出来ました。見ず知らずの人のために自分たちが食べるために持ってきた食べ物を惜しげもなく振舞っていただいたそのきもちに感謝して、元気を出して走ったのでした。
第5エイド66km地点到着は15:56、10時間26分経過。すでに10時間以上走って来た割には、すこし休むと元気が出てきてポトフを2杯、バナナ3本、パエリア、汁物を完食。気温が下がってきたところで暖かい食べ物は助かります。食べることが前へ進む勇気をくれる、そう信じてたくさんたくさん食べさせてもらいます。それにしてもエイドにいらしゃる皆さんにはいつもなが頭が下がります。寒くても疲れていても眠くてもそんなそぶりをすこし見せず、私たちランナーのために尽くしてくれます。このエイドではマグネシウムを4滴水に混ぜて採りました。3から4エイド、4から5エイドの間で両手の指先が痺れ、いつもの塩抜けがやってきたと思い、スポーツソルトを4錠その都度摂取しましたが回復せず、攣り・痺れを取るために有効と言われるマグネシウムを採ることにしました。このマグネシウムは、私が所属する明走会のもう一人の姉御である園子さまの会社の商品で、前回 川の道の時に「攣ったときに2,3滴採りなさい。良くなるから」と言われて使ったものを今回も持ってきたのでした。実際、これを取ってから攣りと痙攣は無くなりました。人のご恩には本当に感謝です。
このエイドでのみ許されるドロップバッグシステムで、バックから取り出したタオルで顔と体の汗をぬぐい、どろどろになった靴下を新しいものに履き替え25分の休息の後に5Aを後にしていよいよ始まる漆黒の闇の中を走るナイトトレールに入っていきます。乙見湖を過ぎ、夢の平をこえフラットな林道を進みます。私が持ってきたライトの装備は、LED3灯のヘッドライトと手持ちのLED5灯のライト2つ。以前にもこのヘッドライトを使ってナイトランをやったことがありますが、山の中は全くの別世界でした。月明かりも星の瞬きも全く通さない木々による闇の世界がナイトランの恐怖心と熊の出現を予感させます。熊の来襲を防ぐため熊鈴をバックに付け、予備として持ってきた手持ちのLED5灯ライトを照らし、前へ前へ進みます。
70km地点到着16:56、11時間26分経過。80km地点19:08、13時間38分経過。とにかくまっくら、周りに人の気配もしない、初めての経験をしました。
19:22、第6エイド到着、13時間52分経過。ここではまんじゅう、スープ、じゃがいもを腹いっぱい食べます。このエイドを過ぎたあたりで、夜間にこのコースを行ったりきたりしながらパトロールをしているボランティアの方と伴走しながら10km弱走ります。長野に工場を持つ私が勤める会社に関係がある方で、デジカメ「μ」のユーザーということで、いろいろと話しながら走ることで疲れも忘れることが出来、苦しい期間・時間帯を楽に走りきることが出来ました。感謝!
20:15戸隠神社中社到着。20:34第7エイド到着、15時間4分経過。いやー、長い時間がかかった。でもあと10数キロ、がんばるぞと心に誓いながらエイドの皆さんと語らい、元気をもらいます。まんじゅうとチップスターを頂き、お礼を言って最後のエイドに向けてスタートします。このあたりは戸隠山の中腹を走ります。戸隠山は戸隠連邦の主峰で標高1904m、神話では天照大神が隠れたときに手力男命(てぢからおのみこと)が戸をこじ開けてそれがこの地に飛んできて出来た山といわれているそう。
21:10最終エイドである8A 90km地点に到着、15時間40分経過。ここでは戸隠そばを「ねぎだく」で2杯頂き、飲料を補給して最後の山である飯綱山に向けてスタートします。今回のレースはエイドがほんとうにありがたい。もてなしも最高、地元で出される笹寿司やそばも頂くことができて、感動しました。
最後となる飯綱山は標高1840m。山すそから940m高度を稼ぐ必要があります。昔から山岳信仰の霊場であり、忍術や剣術の修行の地として知られていただけのことはあって、今までになく苦しい闘いを強いられることになりました。
最後のステージにして最高の標高まで自分の体を持ち上げることが必要となり、今まで走ってきた90kmの疲れた体に最後の力と気力を振り絞って一歩一歩  歩を進めていきます。ここで困ったのは、足元が石のがれ場となり上りも下りも非常に危険なコースとなっていることと、今まで止んでいた雨がまた降り出したことでした。気温は下がってきているが雨具は出さず、手袋だけして完全に登山と化したトレールを進めていきます。「頼むよ脚、もってくれよ体」と何度も何度も自分の脚と体に声をかけます。
山頂到着22:46、17時間16分経過。もうゴールはすぐそこです。昔、古文で習った「過ちすな、こころして降りよ」ということばをなんども繰り返しながら、がれ場である急峻な下り坂を3km下ります。やっと林道到着、あとはのこり2kmでゴール。ここで最後の走りを見せ、12:34:02ゴール。100kmの五岳制覇19時間04分02秒。500名中232位。
今ゴールしたときの写真を見ていると、いつも以上に元気で明るい私がそこにいます。初めて5kmを走れたときの感動、初めてフルを走りきったあの感動、初めてウルトラを完走したときの感動、初めて超ウルトラを走破したときの感動、その感動を今回の初めてのトレールでまた味わうことが出来ました。また、厳しいレースでしたが大会主催者やボランティアの皆さんに助けられながら楽しんで走らせてもらうことが出来、タイムは二の次ではありましたが、自分の力を大きく超えた結果を残せることが出来ました。
今まで私は、周りにいるランナーのすばらしい成績や戦歴に追いつこう、追い越そうと思い、練習を重ね、大会にエントリーして来ましたが、ウルトラというすこし軸足をずらしたところで自分にランナーとしての「箔」をつけることが出来ないかと思っていた事実はあると思います。それがウルトラへの参戦であったり、川の道フットレースへの挑戦であったりしました。しかし、それは自分の自信を付けることはあるが、ややもすると非常にやっかいな気持ちを増幅することになりはしないかとここのところずっと考えていました。それは初めて5kmを走ったときの感動を忘れてしまい、一緒に大会に出て5kmを完走して感動する人を見て「なーんだ5kmでしょ、なんてことないじゃん」と思うようになってなかったかと・・・。
今回のレースは、最初に話したとおりトレールの世界では初心者中の初心者である自分が、ランナーとしての自分の出発点を再確認する大切なものとなりました。
運動を全くといっていいほどせず大人になり、14年前に出会ったマラソン大好きのカメラ店キーマンお二人との出会い、そしてそれから始まった私のマラソンのある生活、すべて人生というシナリオの中で既に決まっている筋書きの中でそのマラソンのある生活をしていけるとすれば、私は本当に幸せな趣味と出会えてよかったと思います。そして、その大好きなマラソンを通じて知り合ったかけがえの無い仲間の皆さんとこれからも大切にお付き合いさせて頂き、ランナーとしても社会人としても、家庭人としても自分を高めていけたらいいなあと思います。
追記
トレール100kmの代償は結構なものでした。両足の爪3つずつ死にました。両脚の筋肉痛がいつもとちがうところが痛いので少々きついです。体脂肪は久々ぶりに10%を切りました。
自身のタイムです。↓
表彰式の様子です。↓