わこわこマラソンクラブ

5/22/2009

第5回川の道フットレース大会レポート

「川の道フットレース」という大会は、正式には葛西臨海公園をスタートして荒川沿いに上流に
さかのぼり、秩父の三国峠1800m強を越えて小諸に下り、千曲川沿いに下り、
新潟に入ってからは合流した信濃川沿いに新潟まで走る太平洋から日本海までの520kmを
つなぐ「川の道」を走る、至ってシンプルなマラソンです。
私がエントリーしたのは後半の小諸~新潟ステージ255kmです。
これをこの大会に参加した人たちは「ハーフ」と呼びます。
ハーフと言って思い出すのは、ハーフマラソンの21kmのレースが普通でしょうが、ここでは255kmでもハーフなんです。
エントリーした人は、フルの部52名、葛西~小諸が22名、小諸~新潟が31名でした。
大会には公式に休息がとれる施設はフルで3箇所、ハーフではそれぞれ1箇所で、フルの人はそれぞれ最低3時間ずつ、ハーフの人は最低2時間そこに留まり休息を獲ることが義務つけられています。

大会は、4月29日の川の道フットレース開会式から始まります。
文京区の男女平等センターの1階の畳の部屋に、全国から集まった超ウルトラマラソンの兵(つわもの)が数多こぞっていました。
大会のコースを詳細に説明していただいた後に、主催者から開会式に参加したランナーが一人ずつ名前を呼ばれ、起立して挨拶をしていきます。
どういうわけか最後の挨拶が私ということになり、「何か一言お願いします」といわれたので、
「カメラメーカーに勤めています。写真を撮りながら楽しんで走ります」と話させていただきました。
会場には明走会の仲間である土田さん(通称園子さん)が自分の会社の商品のサンプル・・・マグネフォースという、脚のつりを抑えるミネラル液のサンプル配布で訪れていました。
園子さんから、「がんばってね」ということばと共に、お菓子が入っているといって渡された黄色の紙包みを頂き、家路に付きました。

いよいよ当日の朝です。
3日朝6時に起床、前日までに用意しておいた装備一式を最後入念にチェックします。
そしてかみそりで髭を入念にそり上げ、毎日の日課としている白飯に納豆の朝食をとります。
自分が走る長野から新潟の週間天気予報をNHKで見て、雨が降りそうも無いことを確認して
心の中でほっとします。
2日前までは雨模様という予報であったので、なにか運が向いてきたのでは・・・と感じる始末。
楽観的はレースにいいです。

7時10分前に自宅を出発。電車を乗り継ぎ、大宮駅7:55発あさま561号の車窓の人となりました。
睡眠をすこしでもとろうと携帯の目覚ましを掛けて佐久平までの50分間熟睡します。
佐久平で小海線に乗り換えです。





















すでに大会に出ると思われるランナーが数名ホームで電車の到着を待っています。
中には今までにウルトラなどの大会で出会った方もいたりして心が落ち着きます。
列車の中で向かいの席に座られた横浜からいらした三宅さんと長谷川さんとお話しし、超ウルトラの心構えやらいろいろなアドバイスを頂き、感謝、感謝でした。



鈍行電車に揺られて9:16に小諸到着。































小諸駅前の懐古園を左手に見ながら、徒歩5分で会場である小諸キャッスルホテルに到着します。
会場入り口でエントリーのチェックを行い、2階の着替え室に向かいます。
2階の部屋では、前半の「ハーフ」を終えた人たちがほっとしたひと時を過ごしていました。
明走会の仲間で、通称「お富さん(私はあねごと呼んでます)」から
「日焼けで唇が焼けるからこのリップスティックを持っていきなさい」と
ご自身が使っていたそれをいただきました。
結果的にそれがすごい性能を発揮するので、やはり周りの人の話を聞いて行動するのは良いなーと感じました。
上は2004年のサロマ湖ウルトラマラソンのときに購入した長袖の白のランニングウェアの上に、黄色でものすごく目立つ明走会のTシャツを重ね着します。夜走るときに目立つ色と、冷え込みを考えての重ね着です。長袖は日焼けによる体力消耗を防ぐために、普段のように半そででの対応はしないと決めていました。
下はミズノのショートスパッツの上にワコールCW-Xのスタビライズモデルを穿き準備万端となりました。
29日に園子さんからいただいた黄色の包み開け、中から取り出したものは、5月の節句に飾る鯉のぼりを模したまめ菓子でした。園子さんの心使いに感謝すると共に、これを前半走って来られたお富さんとその同士と分けて食べて、ゲンかつぎをしました。
「無事完走できますように・・・」









しばらくすると、私をこの川の道フットレースに誘っていただいた張本人の岡崎さんとそのご子息が現れました。岡崎さんは12回続けてギリシャの「スパルタスロン」というアテネ~スパルタ間1100m級の山を二つ越えて246kmを48時間で走る、世界で最も過酷という話もあるレースに出場されている方で、今年は最後のレースにするということで長男のご子息と一緒にスパルタスロンに出場するための出場権(100KMを10時間半で走るか、200KM以上のレースを完走したか)を得るためにこの後半のハーフにエントリーしていたのでした。








11時がスタートの時間で、その前に簡単なレース説明と記念撮影が行われます。
もちろんこの時は皆さん元気一杯。
スタッフの方から「スタートなんですからもっと緊張してくださいよ」という冗談が出るくらい皆さん落ち着いています。

そのなかで私は、少々違う気持ちを持っていました。
それは、なんといってもこのレースが完走できるのかという不安です。
2、3月300km弱、4月250kmと、超ウルトラを走る人のレベルの半分も走っていない私。
そして、長い距離の練習といったら、4月5日の鶴沼100kmウルトラマラソンしか経験が無い私。
でも、私はスタートラインに立っている。
レースに出るときはいつも私はこうします。「ビックマウスになり、皆さんの前で自分がやることを公言して、逃げ道をなくして自分を追い込み、それを達成させる!」
もう後戻りはできない。
母校明治大学の精神「前へ」を心に刻み、11時の号砲・・・ではなくスタートを知らせるホイッスルの音を聞いて31名のランナーと共にスタートしました。

初めからキロ6分ペースで飛び出していく人、キロ7~8分レベルでゆっくり立ち上げていく人の2つに自然と分かれました。
私は必然的に後者に入り、後ろから5人目くらいで国道18号線をのんびり最初のチェックポイントに向かいました。
常田というところから左に入り、少し遠回りとなりますが、旧街道(北国街道でしたか?忘れました。途中海野宿など古い宿場町があります。)の風情のある通りをゆっくり進みます。
後ろのほうに陣取っていた私は、たまたま小海線でご一緒させていただいた三宅さんと長谷川さんとしばらく走ることに。お二人のウルトラ・超ウルトラ歴は長く、話題も危機回避の方法も豊富に持っておられて、一緒に走らせていただいた2時間あまり、ほとんど聞きっぱなし、質問しっぱなしの状態でした。やはり先達のお話は貴重です。
































 1:20経過した時点で、上田市に入ります。信濃国分寺を通過し、すこしにぎやかになってきました。
「上田って何で有名なんだっけ?」と三宅さんに聞かれ、「確か真田雪村に縁のある街では・・・」という私の回答はあたりでした。市街地に入ると真田の勇士ののぼりがあちらこちらに掲げられています。

最初のチェックポイントは上田城址。







18.8km地点です。13:09到着。2:09経過。
今回の作戦は、1時間に6km進むこと。
そうすると、47時間でフィニッシュ出来る計算となり、万が一のトラブルが起きても7時間の余裕がある形を計画しました。

ここでは後半ハーフ255kmでたった2つしかないエイドが設けられています。
バナナやオレンジ、グレープフルーツといった果物と飲み物が用意されています。
家を出てから何も食べていなかったのでしこたま口の中に食べ物を放り込みます。
本当はご飯粒のたぐいか麺が食べたかったですがそこは我慢、我慢。
大会事務局の方々がしきりに長野牛乳を薦めてくれましたが、お腹がゆるくなると困るのでオレンジジュースを頂き、背中に担いでいるグレゴリーリアクター(トレールランニング用ザック)の両サイドにいれている空になった500mlペットボトルにスポーツドリンクを補給します。
上田城址のトイレで用をたし、ボランティアの皆さんにお礼を言ってスタートします。
スタートしたらすぐに三宅さん、長谷川さんと別れてしまいました。後で聞けば、回転すしに行っていたとのこと。さすがベテランの行動です。
25kmを過ぎたあたりで坂城町に入ります。
途中、「ねずみ」という珍しい地名があったのでカメラに収めました。


































このあたりはスタート地点から既に200mほど高度が下がり、415mほどとなっており、左手に千曲川を眺めながらゆっくりと歩を進めることになります。



途中石で作ったアーチ橋があったのでこれも撮影。確か坂城大橋ではなかったかと思います。









15:50に千曲市に入りました。千曲川が大きく右にカーブし、その先、犀川と合流して更に大きな流れとなっていきます。












千曲川の右左には新緑を纏った山がつづらに連なり、初夏の風情を漂わせています。
こんな景色を見ていると気分はかなり良いのですが、きちんとした食事をしていない私のお腹は空腹を訴えており、どこぞにラーメン屋さんがあればはいるぞーと思っていましたが、18号線沿いになかなか店は現れません。







しばらくしてやっと道の左手に「葉隠本舗千曲店」という九州ラーメンのお店が出現しました。
地元のラーメンではありませんが喜んで入店し、ラーメンを頼みます。750円だったでしょうか、
スープまで一気に飲み干します。塩分摂取も暑いレースには必須です。
美味しい一杯を食べて店の外に出たのが15:40.そこに三遊亭楽松師匠とばったり会いました。
師匠は第一回大会から4回連続でこの川の道のフルを完走されているすごい人ですが、今回は途中で何度かアクシデントがあったそうで、顔に張られたバンドエイドが痛々しかったです。




2つめのチェックポイントは長野市篠ノ井橋北詰。スタートして43.4km地点です。16:37到着。5:37経過。10kmほど手前から併走をしていた金澤から来られた末松さんに写真を撮ってもらいました。末松さんもスパルタスロンに毎回参加されているとかで、すごい人をここでまた発見してしまいました。この橋を渡ったところから左手に入り、県道を経て長野市街地に向かいます。
ここから先はポイントには誰もいません。
したがって、近道をしたり、電車や車に乗ってずるしても誰も見ていませんから、なんでもやろうとしたらやり放題です。
しかし、そんなことをする人はこのレースには出ないでしょう。














17:40に犀川を渡る丹波島橋に到着。詩や短歌に詠まれる川として有名ではなかったかと、まだ元気な頭で反芻していました。









3つめのチェックポイントは信州大学教育学部の隣にある善光寺。56.3km地点。18:30到着。7:30経過。
7年に一回の「ご開帳」で、夜に差し掛かっているにも関わらず大勢の観光客の皆さんが柱をなでて祈願しています。
私も迷わず、今回のレースの完走・会社の黒字化・家族の健康をお願いしました。
お参りをしていたら25分ほどかかってしまいました。
ついでに腹が減ったので焼きおにぎり200円を1つ買って食べました。
味噌が上に塗ってあってこれがうまい。
行かれる方がいれば是非参道の入り口右手にあるお店で食してみてください。
善光寺から通りに出て東に進めると、自動的に18号線のアップルラインに入るのですが、思いっきり道を間違えて村山橋(須坂方面)にいってしまいました。
このころは既に20時を過ぎていたので、頭につけたLED3灯のヘッドランプを頼りに地図を確認しますがどうも合点がいかず近くの和食レストランに入り、道を尋ねると、逆の方向というお話で、早急に道を聞いてリカバリーしたため、大きな時間ロスにはなりませんでした。
しかも、私のレースのことを聞いて、空になっていたふたつのペットボトルに暖かいお茶と冷たい水を詰めていただき、感謝でした。

4つ目のチェックポイントは長野市の浅野交差点で、今まで走ってきた国道18号から117号に道を変えます。
このとき時間は20:55。9:55経過。71.6km地点。
この地点はよく道を間違えるところということで注意していましたが、私の後を走ってきたランナー(実は先ほど出てきた末松さん)が18号線を行こうとしていたのでその方に大きな声でアドバイスしてコース修正をしてもらいました。18号線は黒姫や妙高のほうに行ってしまうので、ここに入り込むと厄介です。
ちょっといいことをしました。

ここから延々と山間部のやまあいの道を右に左に曲がりながら、アップダウンを繰り返しながら前へ前へ進みます。ここから飯山市街地まで確か1軒もコンビニはなかったと思います。
ザックの中にあるウィダーを啜りながら、レストランでもらったお茶を頂きながら飯山駅を目指します。
22時にやっとセブンイレヴン発見。喜び勇んでおにぎり2つとリポビタンD、携帯用にウィダーインゼリー、そして食べたかったカレーヌードルを購入。その場でおにぎり、ヌードルを食します。
このカレー味のうまいことといったらありません。
5つ目のチェックポイントは飯山市の飯山駅です。
23:43到着。12:43経過。89.1km地点。
ザックに入れてあるウィダーインゼリーを食べますが腹は減る一方。コンビには無しで困る私。
スタートから12:43経過で、当初予定していた6km/時間を2時間上回るタイムで、これは上出来とほくそ笑みます。
今は真夜中ですが、大会主催者によれば、この飯山あたりは今の時期には菜の花が満開で、それは綺麗な景色ということですが、今は何も見えません。ヘッドランプを照らしても全く用を成しませんでした。
このころはまず他のランナーと会うことはありません。
2時間走って一人、そんな感じです。
頼りになるのはヘッドランプのみ。
なにせ街灯が全くありません。
国道と言っても10分に車が1,2台という交通量ですから、もしこのランプが無いとしたら・・・と考えただけでも恐ろしくなります。代わりのランプは無し。もっと怖いのは電池の替えがありません。
幸い、悪い人は出てきそうにありませんし、熊などもでそうな気配も無いのでそれは安心ではありますが。








110km地点で栄村に入ります。4日3:00.真っ暗です。明かりひとつありません。
また、あいにく曇り空だったため、月明かりも星の瞬きも全く無いです。
吐く息がヘッドランプに照らされて白く見えます。
道路情報掲示板に出ている気温は10度を表示しています。走っているときはいいですが、止まるとやたら寒い、そんな状態でした。








山道、トンネルを過ぎ、4:45に新潟県に入りました。120km地点。夜が明け白々としてきました。新潟県のシンボル、鴇の看板がお迎えです。千曲川の上には端午の節句の鯉のぼりが空を泳いでいます。
















6つ目のチェックポイントは、中間地点のレストポイントであり、最後のエイドでもある深雪会館。津南町の駅前にあります。10kmほど前から一緒に走っている橋本さんと元気を出しながら進みます。








ここまでがものすごく長かった。


まず私が過去に経験した100kmの域を超えたステージに入ったこと。
今まで平坦であった道が山道(上ったり下ったり)に入ったこと。
そして、街灯が全く無いところを何10キロも自分の頭のところにつけているヘッドランプの光だけを頼りに進まねばならないこと。
散々の歩きを入れて到着したのが4日の6時17分。129.3km地点。19:17経過。
予定タイムより3時間弱早いので、予定していた3時間の休息を1時間延ばすことに決めて、
何も途中で食べられなかったお腹に、カレーとなめこ汁を流し込み、温泉に入り体の疲れを取って
布団に入りました。お尻が痛いなあと思っていたら、スパッツでお尻がすれて、しりの皮がむけてました。
休もうと思いましたが、走ってきた頭は覚醒しており寝付けません。


  うとうとしただけの睡眠タイムをすごし
予定していた3時間の睡眠を2時間半に終えて、再度カレーとなめこ汁を頂き、感謝のことばを述べようと思うと、そこには私が所属するARCの高地コーチのお友達の秋葉さんが。
勝田マラソンでご一緒したときに川の道でボランティアをやるとは聞いていましたが、まさか会えるとは・・・ということでしっかりうれしさを心に刻んで後半の部をスタートしました。







出発タイムは10:17.
実はこのとき、右脚のすねにものすごい違和感と痛みが出ていました。
昨日峠の上り下りの際に、出来るだけタイムを稼ぎたいという気持ちで歩きもキロ10分ペースで歩いており、それがあだになったと思ったときは後の祭りでした。
ついでに、この大会前から痛めていた左足の足底腱膜炎が再発し、右も左もどうしようもない状態になりつつありました。

「ああ、これが超ウルトラなんだ、簡単には達成できない壁なんだ」
という気持ちと
「なんとかなる。今までもなんとかやってきただろう。」
という気持ちが交錯します。

たまたま深雪会館を同時にスタートされる520kmフルに参戦中の岡戸さんという60代の方とご一緒させていただき、60kmに亘り私を引っ張っていただきました。
この方は私が足を痛めているのを知って、400m走っては100m歩くといったランアンドウォークで私を一歩一歩ゴールに近づけていただきました。感謝です。
途中コンビニで2回、おにぎりと水分を買い、補給しましたが、おにぎりは美味しく感じられません。(12:40おにぎり3つとお茶購入。13:55にリポビタンDとお茶購入)
やはり麺類がのど越しが良いようですが、時間がかかるので大好きなラーメンは断念しました。

新潟県に入り、千曲川はその名を変え、信濃川となります。
川幅も広くなり、悠々と流れるその様は、なにかこのマラソンに通じるところがあると感じます。








12:20に十日町市に入ります。


頭もだいぶ疲れてきているようで、十日町なのになぜ市なんだろう?とか訳のわからないことを考えてしまいます。
十日町の市街地は多くのお店が軒を連ねており、シャッター商店街どこ吹く風の感じで栄えているように見えます。





おもしろいのは、商店街の歩道の上に設けられている「雁木(がんぎ)」というものです。
私、この地で初めてそれを知りましたが、雪が多い町でお客様を雪のわずらわしさから守るために設けられているようで、その長さは数百mに及びます。昔ながらの趣が感じられるすばらしい景色を堪能しました。






次のチェックポイントは小千谷市魚沼橋。豪雪の十日町を過ぎて162km地点。15:55到着。28:55経過。
計画時間から1時間余裕があるだけになって来ました。
コンビニで塩のど飴とウーロン茶を購入。塩分と水分を補給します。
魚沼と言えばお米の名産地ですが、それを考えるだけの余裕もなくなってきました。
このあたりを過ぎてから、前出の岡戸さんに加え、橋本さん、目黒さんと大体同じスピードで走る形になってきました。

続いて次のチェックポイントは小千谷市越の大橋。180km地点。20:29到着。33時間29分経過。
この間、またまたコンビニがないところが続きます。
その上真っ暗。
チェックポイントのすこし手前で、私設エイドをやっていただいている和田さん宅に立ち寄り、カップ麺とアンパン5個、笹団子2つをいただきます。
私はたくさん食べられるのでウルトラ向きだとほめられましたが、実際どうなのか自分ではわかりません。
とにかく眠気が来ていましたので10分だけベンチの上で寝させてもらいました。
結果、あたまは多少すっきりしたのですが、体は夜の涼しさにやられ冷え切ってしまい、そのあとしばらく雨合羽を着て暖をとりながら走る始末でした。

次のチェックポイントは長岡市大手通交差点。
繁華街に入り、人の息吹を感じながら走ります。
ベンチに座り、ウィダーとお茶を飲み、小休止します。
193km地点。23:14到着、36時間14分経過。
これまで累計1時間ちょっとしか寝ていないので頭が朦朧としてきます。
以前ナイトランを2度ほどやったときの教訓は
「眠くなったら食べろ!」でした。
普通たくさん食べると眠くなりますが、逆に眠くなったときにたくさん食べると眠気が飛んでいきます。
近くのコンビニに入り、カップうどんとおにぎりを購入。ばくばく食べると不思議、眠気が取れて
走ろうという気概がまた出て来ました。
しかし、その勢いはあまりにもろく、1時間もすると眠気が再発し、ご一緒させていただいた岡戸さんも長岡手前で「俺、眠いから寝るわ」といって工場の門の前の道路で寝てしまってそれから
一人で走ってきたので、とにかく眠気が取れない。
しかも、長岡市外から8号線に戻るまでの県道352号線の長いこと!
さすがにこのときは気持ちが萎えました。このレースではじめての気持ちが折れかけた瞬間でした。
途中2度、コンビニで道を聞き、気持ちを奮い立たせてただひたすら歩きました。
8号線に入り、しばらく歩くも眠気が何度も襲ってくるので、仕方なくセルフのガソリンスタンドで15分ほど仮眠させてもらって、隣のローソンでおにぎりと熱い珈琲を買って食べて飲んで再度スタートしました。


次のチェックポイントは三条市三条大橋。216km地点。2回目の夜明けを8号線上で一人さびしく迎えました。
5:43到着。42時間43分経過。この時点で予定していた時間である24:30から5時間、時間を割り込んだことになります。
とにかくこのチェックポイントまでが苦しかった。
だれも周りにいない。
誰とも話せない。
車もほとんど通らない。







体と頭が極限に達すると、幻影を見ると聞いたことがあります。
ある人は、宇宙戦艦ヤマトが出てきたとか、マンホールのふたがめくれていたとか聞きますが、
私は木や交差点に立つ標識が何度も人間や動物に見えて仕方ありませんでした。
しかし近くまで行くとそれがそうでないことに気づき、ああ、自分は幻影をみていたんだなあと、へんに納得したりします。
これが面白かったです。
このあと岡戸さんと別れて7時間半ぶりにランナーと会いました。
この方はスタート時、1時間ほどご一緒させていただいた長谷川さんで、すーっと私を抜いて
先に急がれていきました。
しばらくいくと吉野家が。
私は納豆が好きなので朝定食を頼もうとしたところ、そこに長谷川さんがいらっしゃったので朝食をご一緒させて頂きました。
となりにマクドナルドがあり、そこには長谷川さんと共にスタート時ご一緒させていただいた三宅さんが。
すると、分かれた岡戸さんもそこに現れ、皆でモーニングコーヒーを飲むことになり、今までのレースを振り返ったりしていました。
気が付くと1時間が経過していました。
普通の走力ならなんてことない残りの距離40kmですが、脚が極限まできている私としては非常につらいランとなりました。
たまたま三宅さんから「アイシングするといいよ」
という話を聞き、まだオープン前のラーメン屋さん「原宿」に掛け合って氷を頂き、道端にすわり両脚を入念にアイシングしました。
脚が完全に復活することはありませんでしたが、なにか気持ちの面では、氷を分けていただいたラーメン屋さんの恩に報いるためにもなんとか走ろうと思い、超ゆっくりですが走り始めました。
途中10:30にコンビニでおにぎり2個とお茶を購入。ラーメン屋さんから頂いた氷をザックに入れていましたが、ここで最後のアイシングを入念に行い、これから先は長い休憩無しで前へ進むことを心に誓います。

次のチェックポイントは新潟市道の駅。
車が混雑していて、「ああ、世の中はゴールデンウィークなんだなあ」と普通の発想をしている自分を冷静に見ている自分がいます。
246km地点。13:53到着。50:53経過。
残り9kmを3時間で行かなければ失格となります。
ふつうの9kmなら絶対1時間はかからないのが普通です。速い人なら30分くらいで走ってしまう距離でしょう。
でも、この時点でもう脚はぼろぼろ。
特に右脚がひどく、3歩歩いた距離が普通生活している1歩の距離で、しかも脚が痛いから早く足を前へ出せない。
ジレンマでした。

そういうときにいつも現れるのがマラソンの神様あるいは救いのビーナス。
最後の日本海に続くストレートラインの土手に現れたのが前半のハーフを走って完走された阿部さん。
奥様で60歳を越えているということでしたが、この方が私の気持ちを和ませながら、最後のチェックポイントである日本海海岸にいざない、最終的にはゴールまで私を引っ張っていってくれました。
日本海海岸到着15:22。252km地点。52:22経過。
あと1時間38分しかない。
残された距離は3km。
情け無い話、もう前へ進む気力も力も全くなくなっていました。
あるのはひとつ、とにかくこの阿部さんについていくだけ。
時間に間に合おうが間に合わなかろうが、とにかく前へ前へ進むだけ。

たった3kmに1時間5分を要して、ゴール地点である新潟市ホンマ健康ランドに到着したのが
15:27:47.
255kmを53時間27分47秒で走った(歩いた)こと。
これが今回の結果です。

前半の部は22名エントリー16名完走。
後半の部は31名エントリー25名完走。
通しのレギュラー520kmは52名参加で38名完走。
私は後半の部20位という結果に終わりました。

不覚にもゴール後泣いてしまいましたが、感極まったと言う感じです。

2004年に初めてウルトラマラソン(サロマ湖100km)を走ったとき、最後の3kmの直線に
入ったとき、応援してくれた人たちのことが走馬灯のように頭を駆け巡り、知らないうちに目の両脇が濡れているのが自分の涙だったとわかったときとは今回の涙は違いました。

やり遂げたことの喜びと最後まであきらめなかった自分への気持ち。
まだまだ私には前へ進む力があることを実感しました。

レースの前日、ウルトラランナーであり作家でもある夜久弘さんの事務所を訪ね、明日からのレースの報告に行きました。
夜久さんからは、こんなことばをもらいました。



難しいことや困難にぶち当たったとき、人はこういいます。

「私には出来ない」

しかし、「私には出来ない」の「は」を「しか」に変える事で可能性は広がる。

「私には出来ない」を「私にしか出来ない」にするのです。





私は本当に周りの人に恵まれているといつも思っています。

この言葉をいただいた夜久さんや、何やってんだかと言いながら心の中で応援してくれている家族、
レースでいつも窮地を救っていただけるランナーの皆さん、
エイドなどでランナーのお世話をしてくれるボランティア、大会関係者の皆さん、
今回のように地図だけで走るときに道がわからなくなった私に道を親切におしえてくれた街の皆さん、
レース前にいろいろと相談に乗っていただいた先輩ランナーの皆さん、
ゴールした私のことを人づてに聞いて連絡をいただいた岩見さんご夫妻、高地さん
そして、あるときは心の中で・あるときは声に出して・あるときはメールで応援して
いただいている安芸ランニングクラブの皆さん、明走会の仲間に感謝しながら、川の道フットレース大会レポートを終わりにしたいと思います。
思います。
長文お付き合い頂きありがとうございました。