わこわこマラソンクラブ

5/06/2013

第3回小江戸大江戸200kmフットレース

「月日は百代の過客にして行き交う人もまた旅人なり。・・・・」

松尾芭蕉の記した紀行文、奥の細道の冒頭の部分だ。
現在のことばで表すと、
「月日は永遠の旅人であり、来ては過ぎる年もまた旅人のようなものである。・・・」
となる。

1日で終わらない、所謂’’ジャーニーラン’’とも呼ばれる超ウルトラマラソンは、
江戸から東北、越後、北陸を経て大垣に至る奥の細道になにか似ているように
感じている。
もっとも芭蕉は150日、2400kmに及ぶ行程を歩んだということだから、
現代のウルトラマラソンでは及ぶべくもないだろう。

2013年3月2日(土)、朝7時に川越湯遊ランドに到着する。

出場の手続きを済ませ、馴染みのランナー、大会スタッフの皆さんにご挨拶を
済ませ、着替えをしたあと、スタート地点の熊野神社に歩を進めた。

午前8時、川越熊野神社をスタートする。
芭蕉は弟子の河合曾良とともに3月27日に江戸の深川から旅だったが、2つのコース、
小江戸コース:川越から荒川沿いを遡上し、熊谷を経て玉淀、東松山をへて川越に戻る。
大江戸コース:都庁、東京タワー、皇居、スカイツリーからまた荒川沿いを走り川越に戻る。
202kmの小江戸大江戸を走る307名の仲間と同行させていただくことになる。

島田大会実行委員長の大会の注意などを聞いているうちに、8時になった。
そそくさとコースに入り、それぞれのスピードで走り始める。

商店街の石畳、蔵つくりの街並みを見ていると、芭蕉が清洲橋あたりから最初の
地、千住に船で旅立ったときのことを想像する。
川の土手からみる民家やお店などを見て感傷に浸ったのだろうか。

札の辻交差点を右折し、市役所を経て伊佐沼に到達する。
南北朝時代に伊佐氏が作った溜池だから、伊佐沼。わかりやすい。
関東では印旛沼に次ぐ大きさだとか。

小さな川に沿って北向きに進路を変えると、猛烈な北風が吹いてきた。
前日の天気予報では、暴風の予報が出ていたが、まさにそれが的中した格好だ。
あとで確認したところ、都内では風速10m/秒とデータが出ていたが、
何も遮るもののない土手や耕作地では、きっと10m以上の風だったと推察する。

8.5km地点を過ぎたあたりで、牛の格好で私設エイドをやっていただいている
方の手には、「いつ楽しむ?今でしょ」の文字が。
予備校の先生の力は偉大だ。今年の流行語大賞はきっと、NHK TVのあまちゃんの
「じぇじぇ」に決まり?だろうが、エントリーは確実にされることばだろう。

荒川土手の上にある武蔵丘陵森林公園自転車コースをひたすらすすんでいく。
私のラン仲間の佐藤さんはこの強風を楽しんでいるらしく、北島康介よろしく
「ちょー楽しい」を連発し、この寒空の中、半そでハーフパンツになって走っていく。

私はと言えば、ファイントラックのTシャツの上にロングTシャツ、サロモンのトレランジャケット
を着込み、下は、CEPのロングソックスの上にCW-Xのロングタイツといった格好だ。

9:55にやっとこさ第一エイドである吉見町桜堤エイドに到着。
予定では10時だったので、強風の中、まずまずの出来。

この桜堤は、春先はきっと桜の並木できれいなんだろうなあ・・・、と咲いたところを
想像しながら、再出発する。

10:16に日本一の川幅の地点に到着する。ちょうど20km地点くらいか。
2537mとある。

このコースは川の道フットレースでもおなじみのコースだ。
川の土手をいくので、とにかく単調。
風がさらに強まり、体を前に倒しても進まない状況になった。
こういう時は歩く、という鉄則を守らず、周りのランナーにあわせて走ってしまったことを
後で後悔することになる。
そう、脚を無駄に使ってしまうことになったのだ。

28.1km地点、熊谷スポーツセンターエイドには11:22着。予定時間は11:30、いいペースで
来ている。
ここでは食料補給ができる。私の好きなおいなりさんやらたくさんの食べ物を補給し、
少し体に力が戻ってきたように感じる。

12:32、村岡で国道407号に出る。道の右手にホンダの車が沢山とめてあった。
ホンダの工場かあるいは出荷を待つ駐車スペースか?

12:45押切橋から小さな田舎道に入る。とても大きな鉄塔がそびえている。
70mくらいはあろうか?
ここから民家の間を道なりに走行する形となる。
少々疲れも出て、歩きが入るようになってきた。

13:05、鹿島古墳のそばに、「白鳥飛来地:北本」の看板があった。
遠くに小さく見えたのが白鳥だろう。
ここの私設エイドで温かい味噌汁をいただく。とてもおいしいのでお代わりをいただいた。

13:57、45km地点 重忠橋で国道140号に入る。交通量が多い。

この道を玉淀大橋までただひたすら進んでいく。

14:18に48km地点関越花園インターそばの道の駅 花園に到達する。
なにか食べたいが、あと少しで玉淀エイドなので我慢しよう。

14:29には51km地点玉淀大橋に到着。
荒川もその幅を狭めて、上流に来ていることをうかがわせる。


14:33には玉淀エイドに到着。51km地点。予定では14:30.ほぼ予定通りだ。
カレーヌードルをいただいた。温かくおいしい。


ここから川越まで国道254号を進んでいく。
道の隣には東武東上線が走っている。


延々と続く254号。飽きてきたころに唐子エイド到着。
17:23、72km地点。予定では17:30なので、ここもかろうじてクリアした。
温かいうどんを2杯いただいた。とてもおいしい。五臓六腑に染みわたるというのは
こういうことだろう。

私の田舎でもある坂戸のそばを通り過ぎ、川越に急ぐ。といっても
ぺたぺたと足を前に出してすり足状態で進んでいく格好だ。

唐子からR344→R254に曲がるべく、古凍で大きく右手に折れる。
このあたりから、1時間ほど同じレースに出ておられるかたと話をしながら進んでいった。
寒いし、疲れているし、モチベーションも落ちてくるこの時間帯は、話し相手に
なっていただけるだけでかなりそれらの問題は自分の頭の中から消し去ることが
出来る。
それと、なんといっても助かったのはライトの光だ。
実はわたくしは、川越の中間点にライトを置いてきてしまっていた。
川越までは街灯があるのでいらないだろう、と勝手に思い込んでいた。
ところがどっこい、真っ暗。歩道はライトがないととても危なくて走ることができない。
落合橋の手前でその方と別れたあとは、それはそれは怖い10kmだった。

川越市内に入る山田のY字路を過ぎたあたりで、安芸ランニングクラブの木下さんと
遭遇した。
飯能でゴルフをしたあと、数名の知っているランナーを応援すべく、ここまで来たとのこと。
ランニングシューズでもないのにしばらく伴走して元気づけていただいた。感謝。


走ったり、歩いたりしながら、91.4km地点、川越エイドには20:35到着。
予定では20:30。ほぼ予定通りだ。この予定というのは、翌日の制限時間である20時の
2時間半まえに到着することを想定して作ったものだ。
40分の休息と夜のランに備えた装備、ダウンを着込む、ヘッドライトをつける、シンサレート
入りの毛糸の手袋をはめる、といったことを行った。
大江戸コースに参加する138名のランナーもすでに多くが集結して、むんむんした雰囲気が
漂っている。
そんななか、食料と飲み物をいただき、大江戸コースに戻ることになる。

川越市内から川越街道(R254)旧道を進んでいく。
たまたま行き会った方と都合30kmほどに渡りお話を伺いながら、全て歩きで進んでいった。
小江戸でだいぶ脚を使ったこともあり、しばらく歩きで・・・と思っていたら、なぜか走れなく
なっていた。もうこのまましばらく歩くしかない、そう思った。
あとは、このベテランウルトラランナーの方がおっしゃる6km/hの速歩でいけば、時間内完走は
できるということばを信じて前へ前へ進んでいった。

この大会ではコース上にあるなか卯で2回、500円の飲食ができる。
予定では成増店で食べる予定だったが、まず1回目は新座大和田で食事をとることにした。
食べたのは定番の親子丼490円。
あつあつで美味しい。体に元気が満ち溢れてくる。

さらには、先ほど川越で応援していただいた木下さんが友人とともにここまで車で移動して
応援に来ていただいた。一緒に写真に収まる。このとき、23:47になっていた。

この先、私の自宅のある和光市を通るが、少し早ければ自宅によって・・・と思っていたが
1時を回っているので回避し、前へ進むことにした。

熊野町交差点を右折し、山手通りに入る。
大山を過ぎたあたりから来ている眠気はここらでかなり激しくなり、歩いたまま目を閉じている
ということが頻繁に起こっていた。
また、寒さも途絶えることなくやってきて、歩いていない状態では寒いなんてもんではない。
計測上は3度~5度くらいはあったようだが、体感温度は限りなく0度といった感じだった。



128km地点、成願寺エイドには3:45到着。予定では2:30なので1時間強の遅れが
出てきた。
うどんを2杯いただいた後、眠気をとろうと5分ほど暖かい室内でうたた寝をしたが、机に
突っ伏して寝る形だったのでからだがそれになじめず、すぐに目を開けてスタートした。

暖かいところから寒い外気にあたると、からだが急速に冷え、あごはがたがたし、体に
震えがくる。暖をとれるものは何もないので、しかたなく速歩でしのぐ。
前後にランナーがいないので、一人で黙々と歩きに徹する。

この大会では、通常のチェックポイントのほかに、写真を撮り到達を証明する必要が
ある地点が4つある。
それは、都庁、六本木ホテルグランドハイアット、東京タワー、浅草寺だ。


その1番目に都庁第一庁舎には3日4:34に到着。
もちろん都会の喧騒はこの時間はない。だれも歩いていない神聖な時間を肌で感じる。

山手通りに戻り、富ヶ谷の交差点を経て、原宿駅に5:19到着する。
朝日の当たる夜明けが待ち遠しい。



表参道、青山通り、西麻布を経て、2番目の撮影ポイントのホテルグランドハイアットには
6:02到着。
六本木ヒルズもひっそりとしている。


3番目の撮影ポイントの東京タワーには6:32到着。


皇居に到達した地点、祝田橋には6:58到着。ここからこあしす接骨院エイドをへて左回りに
皇居を一周して東京駅に向かうことになる。

14km地点、こあしすエイドには7:19到着。おしるこを1杯いただく。
皇居ではすでに多くの一般ランナーが走っているのが見て取れた。


8:25に東京駅を過ぎ、44分に日本橋を通過、神田川?の下にはたくさんの屋形船が
繋留されていて、江戸の舟遊びを彷彿とさせるような感じをもった。

9:42に両国国技館を通過、東京スカイツリーを近くに見ながら、本所エイドに向かう。


この6kmほど、ご一緒させていただいているご婦人がいた。
キャップを深々とかぶっているのでよくわからなかったが、
「どこからおこしになったのですか?」という私の問いに、
「岩手からです。」の返答が。
「もしかして、阿部さんでは?」と聞くと、まさにそうだった。

2009年に泣きながら川の道255kmを完走した最後の3kmを一緒に歩いてゴールまで
導いていただいた阿部さん。

本当にこういうこともあるのだなあ・・・、と思いつつ、この偶然を喜んだ。


155km地点、本所エイドには9:44到着。阿部さんは制限時間オーバーということで
そこでリタイアされた。
私の予定タイムは7:30、2時間強の遅れに拡大している。
カレースープを2杯とバナナをいただいて、重い腰を上げ、先に進んでいった。

ここはスカイツリーの目の前。ずどーんと空に立ち上がる木を思わせる634mの
このタワーを目の当たりにし、日本人のち密さ、粋、技術力を再確認した。

4つめの撮影ポイント浅草寺には10:30到着。158km地点。
多くの観光客でごったがえすなかをゆっくりあせらず進んでいく。

昔、営業で回っていた地域、なにか郷愁をそそられる。

11:33に162km地点、東大赤門に到着。
このあたりでそろそろリタイアを考え始めていた。
頭をよぎっていたのは、
「歩きがほとんどでは、もう時間内完走はないよ。」
「もうここまできたのだからいいじゃないの」
「早く帰って、明日からの仕事に備えるべきじゃないの」・・・・・。
こういうことを考え始めると、ろくなことはない。
すでに心の中では8割がたリタイアを決めていた。

もう一回、なか卯で食事ができることを思い出し、ひとまず駒込駅前のなか卯に入る。
165km地点。
牛丼とそばのセットを頼み、おなか一杯になったところで、歩いて駒込駅に行き、
駅前でナンバーカードをとろうとしていたところ、そこにびっこをランナーがやってきた。

その瞬間、私の中で別の私が、
「びっこを引いているあの人だって、諦めずに前へ進んでいる。お前はどうなの?」
「故障しているといってもそれは我慢できるレベルでしょ。リタイアはいかんよ」
と言い、はっとした私は、ナンバーカードをもう一度安全ピンでつけ直しながら
コースに戻ったのだった。

それからなぜか不思議な力が湧いてきた。
いま考えれば、たくさん食べて復活したのかどうかはわからないが、少なくとも
気持ちの持ち方で人間は大きく変われる。それが具現化した形で、その先、37km、
ゆっくりだがなんとか走ることができた。

王子、赤羽を過ぎ、浮間舟渡から高島平に入る。
ここも自宅からすぐだ。でももう帰宅しようなどとは思わない。

荒川の土手に戻り、上流に進む。幸い、北風はない。

189km地点、羽根倉エイドには17:10到着。
予定では16時。
残りは14km。
残り時間は2時間50分。
たどり着ける時間と確信したが、まだどうなるかわからない。
追い越していくランナーが、「このスピードだと間に合わないよ」
と言ってくれるのだが、実際は精一杯なのだ。

ぺたぺたラン8割、歩き2割で、制限時間に間に合わせるべく、急ぐ。

ゴールである湯遊ランドには19:41:25に到着した。

やった、完走できた。

よろこびがどどーっとやってきた。

記録:35:41:25
順位:154位
出走者268名、完走者159名、完走率59%とのこと。


芭蕉は大垣に着き、旅を終えた。
そのとき、どんなことを思ったろう。

安堵の気持ち、達成感、高揚。
もし、そう思ったのなら、私も同じだ。

そして、もうひとつ付け加えるなら、

諦めなければ、必ずゴールにたどり着ける
ということだ。

50歳をとうに過ぎ、公私に渡り修羅場に遭遇したり、問題を抱えたりしたとき、
決して逃げないで、諦めないで前へ進んでいけば、必ずゴールできる、
今回のレースはそれを学ぶ機会になった。


大会を運営していただいているスタッフ、一緒に走っていただいた皆さん、
私財を投じて私設エイドをやっていただいた皆さん、そして、いつも応援してくれる
ランニング仲間と家族に感謝してこの完走レポートを終わりにする。



























1 Comments:

  • はじめまして!
    来年の小江戸(大江戸は走れる自信はないし、すでに定員だし)を走ろうかとちょっと思ってググっていてこちらを見つけました。
    私は和光市民で、樹林公園をもっぱら走っています。まだ本格的に走り始めて1年くらいでフルも今年の東京が初めてで、その1本だけですが、今シーズンはすでにつくばにエントリーしています。
    そんな私ですが、和光市民にも超ウルトラランナーがいらっしゃると思うととても嬉しいです。
    これからも頑張って走ってください。
    お邪魔しました!

    By Anonymous 匿名, at 12:25 午前  

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