わこわこマラソンクラブ

5/09/2010

第6回川の道フットレース荒川~千曲川ステージ265km完走記

感動。
おそらくこの世の中で感情を持ち、表現できる人間のみが味わえる至福のひと時のことを私は感動と理解している。
私は今日まで半世紀弱を生きてきた。だが心のそこからほとばしり出るような感動を味わう機会が何度あっただろう。しかし、昨年出場させていただいた「川の道」フットレース千曲川~信濃川255kmを走りきり、ゴールテープを切る瞬間、大会実行委員長の舘山さんから頂いた「よくがんばったね」の言葉で眼から涙が溢れた。体の中からほとばしり出る喜びがあった。そして255kmを走りきった達成感も。
今回、川の道フットレースの前半ハーフに出ようと思ったきっかけはその感動をもう一度味わいたいと思ったこと。そして、日本横断という常識では考えられないようなことを成し遂げる大会を二年かけてやり遂げることであった。
時は12月に遡る。私が所属するスポーツエイドジャパンから今年の川の道の応募用紙が届いた。時を同じくしてランニング仲間のお富さんから「川の道のフルにエントリーしたよ」というメールが届いた。昨年の大会後、絶対に前半ハーフを走って520kmの全コースを繋ぐという気持ちはあったが、その気持ちとは裏腹に当時は2月28日に行われる東京マラソンにターゲットを絞って練習しており、長い距離を走るレースに対する感情は薄いものであった。しかし、その2つの事象をきっかけに私は川の道へのエントリーを決意し、参加希望用紙を大会事務局に送ったのであった。
さあ気持ちも吹っ切れた、あとは練習あるのみ。1月、2月、3月と300km程度、4月は220km程度走るが、フルマラソンの練習中心で長い距離を走れなかったこと、また、絶対的な走りこみ量が不足しており、心配する気持ちはもやもやと残った。
この気持ちを吹っ切ってもらったのがいつもからだのメンテナンスをしていただいている韋駄天治療院の桑野先生である。先生はこうおっしゃった。
「フルマラソンもそうだが、長い距離を走るときに大切なのは小さな筋肉を使わず、大きな筋肉を使って前へ進むことだ。小さな筋肉とはふくらはぎの筋肉のこと。大きな筋肉とは、おしりの上部の筋肉とハムストリングス。さあ、その使い方の練習をしましょう。」
といいつつ、臀部の筋肉を使うこつを教えていただいた。簡単にはいかなかったが、間違いなく前へ進む力にお尻の筋肉が有効であることは理論上良く分かった。
3月末の決算前後の慌しい日々を過ごし、月も半ばを過ぎたとき、大会事務局から大会概要と参加者名簿、そしてコース地図である5万分の一地図が送られてきた。いよいよだ。泣いても笑ってもあと10日ほどで本番。気持ちが高ぶるのが分かる。
少しでも心配する気持ちをやわらげるべく、4月18日に行われた川の道試走会に参加する。川の道の三冠王である藤原さんはじめ、ベテランの皆さんと走り、レースへの情報収集に余念なく対応する。第一チェックポイント彩湖を経由して南与野駅まで50km超を走るが、レース当日走るスタイルと装備を担いで走る。荷物を背負って走るのは日頃実践していないため、きついが、これが良い経験となった。もうすこしこういった練習をしておけばよかったと後悔する。
大会前日である4月29日の13:30から文京区男女平等センターにおいて前日選手受付・開会式・競技説明会が行われた。エントリーしている人は、フル54名、前半16名、後半16名。54名のランナーがこの日に集まった。普通のマラソンにあるようなぎらぎらした人はいない。それぞれがそれぞれの思いを胸に、大会に出られるのを本当に楽しそうに、ひとりひとりが自己紹介及び大会に寄せた思いを語った。昨年のこのときも思ったが、皆さん自分の過去の実績をひけらかすことなく、ただたんたんとこのレースを楽しもう、そんな気持ちが伝わってくる、そんな開会式であった。
開会式の最後に、第一回大会からフルの部を完走し続けている三遊亭楽松師匠による「完走の極意」が参加者に伝授された。それは、時速5kmで前へ進めば105時間でゴールできるということ。そして、スタートラインに立てばあとは気力でゴールできるというものであった。
家に戻り最後の装備のチェックと、ナンバーカードをザックとスポーツタイツの上に履く短パンに固定する。ナンバーは215番。ナンバーの隣には私の名前が印刷されている。名前が書いてあると、一緒に走る他のランナーとの会話の際、その方の名前を呼びやすくなる効用がある。私は大会主催者のこの心使いがうれしい。
レースの前日に生ものは食べないという鉄則を守り、カツ丼を食べて早めに布団に入る。目覚ましは9時スタートとなる会場に40分前に到着すべく、逆算して5時55分にセットする。もちろん6時過ぎでも十分間に合うのだが、5:55=ゴーゴーゴーと縁起をかついだのである。
寝つきは良くなかったが睡眠はしっかり取れた。起き抜けに週間天気予報を見ると、ゴールデンウィーク中に関東甲信越地区で雨が降る気配はない。これは本当にうれしいことだ。雨降りは暑さ以上に体力と気力を消耗するからだ。続いて会社に行くいつもの朝と同じように、かみそりでひげをそり、納豆をおかずにご飯1膳を食し、歯をしっかり磨いて家を出た。
スタート会場である葛西臨海公園には8:20に到着した。すでに多くのランナーが集まっている。ただ普通のレースと違うのは、皆しゃべっていたり、おにぎりやバナナを食べていたり、装備の最終点検をしたりしていて、ストレッチングやアップをやっている人は全くいない。このゆるい感じがまた良い。
私の参加する265km荒川~千曲川ステージは制限時間60時間。つまり2日と半日がたっぷり使える。楽松師匠のお言葉を使うなら時速5kmで53時間でゴールできる計算となる。但し、途中、1800mを超える三国峠を登り、降りなければならないので単純にその計算が成り立つかは不明だが、兎に角60時間を一杯一杯使ってゴールすることを心に誓った。
9時2分前から大会委員長によるカウントダウンが始まった。ゆるゆるとランナーがスタートライン付近に集まってくる。
1分前。飛び出そうという人はただの一人もいない。
そして、9時。スタートのホイッスルが鳴らされた(と思う)。まずは全員で葛西臨海公園を西に移動し海が見える地点まで走る。そこで一旦停止し全員でこれからの前途を祝して写真を撮った。皆笑顔だ。私も笑っている。そう、この笑顔がこの大会のいいところだ。
写真を撮り終わったところで本当のスタートとなる。私達一部の人間が写真を追加で撮っていると、すでにトップは遠くに行ってしまっていた。
最後尾から走り始める。それもゆっくりと。気温はすでに20度近くなっているだろうか。かなり暑く感じる。
荒川の一番しもにかかる橋を渡るときに、はるか遠くに建設中の東京スカイツリーが見えた。ここでも一緒に走る仲間と記念撮影に勤しむ。
長い橋を渡り終え、荒川の土手の下の道のコースを進む。時速9km程度と思う。ちょっと早いか?スタートから7km、新船堀橋手前に私がいつも通っている新宿の小料理屋さん安芸のおかみさんが応援に駆けつけてくれた。本当にうれしい。
指定されたレースのコースは、荒川の上流に向かって左側を走るのだが、通常これを右岸というのだそうだ。川は上流から見ての判断がその基準となる。
新船堀橋を過ぎて、荒川大橋、新小松川大橋、平井大橋、木根川橋、新四つ木橋、四つ木橋、新荒川橋、堀切橋と過ぎる。ここでやっと15kmだ。1時間半以上が経過している。とにかく暑い。途中で私設エイドの方から2回冷たいお茶を振舞われた。ありがたい。とくに氷は体にしみこむように美味しい。
15kmを過ぎ、川の流れに従い千住大橋を過ぎたあたりから進路を西にとる。更に西新井橋、扇大橋、江北橋、鹿浜橋、新荒川大橋、戸田橋と経過する。やっと30km地点だ。
流れる荒川の幅はまだまだ広く、坂東太郎の異名を取るだけのどうどうたる流れである。
30kmを過ぎると大きな赤い色をした橋が見えてくる。笹目橋だ。上を笹目通りがとおる橋、この道を左に15分行けば我が家。ああ、ここから葛西臨海公園に来て、ここから小諸に向かって去っていくんだなあと思うとセンチメンタルな気分になる。この橋を渡り川の左岸に出て、更に川を溯上して幸魂大橋の先にある彩湖エイド(チェックポイント1)に到着した。35.7km地点、時間は13:10.4時間10分が経過している。
すこし速すぎないか心配になる。エイドではボランティアの方が作ってくれたそうめんを2杯、パンとおにぎりを1つずつ頂く。ここでペットボトルにお茶を注ぎ、彩湖の沿岸を進んでいく。右手に児童用の遊具がある手前の芝生の上に見たことがある人を発見。
池袋アートスポーツの鈴木店長がご家族で遊びがてら応援に来てくれていた。もちろん、私だけへの応援ではなく、参加する皆さんのための応援だ。店長は川の道に一緒に出ようといっていた人。この方から激励の言葉を頂き、前へ進むエネルギーに変えた。
更に秋が瀬橋を過ぎてさくら草自生地を過ぎると秋が瀬公園だ。しばらくゴルフ場の脇を走り、羽根倉橋を過ぎ、サイクリング道路の迂回路を北北西に進路をとり進んだ。
荒川沿いの運動公園、健保組合運動場を過ぎて道なりに進路を右にとると、施設エイドを大掛かりにやっていただいているバンバンクラブの皆さんとお会いした。このクラブは視覚障害者の方の伴走をボランティアで、草の根での社会貢献をやっておられる。本当に頭が下がる。丁寧にお礼を言い、コーラを一杯頂いて失礼した。
更に歩を進め、第二チェックポイントさいたま市新上江橋に到着。15:17.49.6km地点なので、ここまで6時間強。時速8.5kmで進んでいる。500mはあるかと思われる橋の途中に川越市の標識が立っていた。あまり意識をしていなかったが荒川は川越市の東を流れていることをはじめて実感した。
新上江橋の途中から左に下りて土手の上を通るサイクリングロードに入る。土手からは街の景色は見えないが、道の両端に広がる菜の花の美しいこと、美しいこと。延々と10km以上にわたり続き、暑さで疲れた私の体と気持ちを慰めてくれた。
17:22、第3チェックポイント吉見町桜堤公園入り口到着。65.6km地点。8時間22分経過、時速8kmを何とかキープしている。エイドではあまり長居しないというのが自分の中で決めたこと。長居するとどうしても筋肉が固まってしまい、また、気力も萎えて前に進む気持ちが薄れるという理由からである。
エイドではスタート時にお会いした舘山実行委員長から声をかけられる。「まだ元気みたいだね、しっかり食べられるのはいいことだよ。」そうだ、しっかり食べられるうちは体に元気がある証拠。そしてしっかり食べてしっかりそれを体に取り込むためにガスター10を食後に採る。これも舘山さんからもらった情報を元にやっていることだが、8時間に1回ガスター10を飲むと胃の調子が保たれるというもの。昨年のこの大会からやっているが、誠に調子がいい。今年もしっかり使わせてもらっている。
エイドでは韓国からこの大会に参戦している朴さんと会った。ウルトラの歴戦とつわものとのことだが、今日のこの暑さでだいぶダメージを受けている感じだった。言葉も通じない、道も分からない、大変な道中を察して、頑張ってくださいと伝えた。
エイドの直前で知り合いの男性と会う。福岡の江口さんである。彼は自称「走るウルトラ飲兵衛」と仰っていてウルトラマラソンとお酒をこよなく愛する方である。土手に座って携帯で電話をする彼に「どうしたんですかー?」と言ったところ、「いやー、仕事なんよ。世の中今日は仕事やけんね。」それはそうだ、私も今日は会社に休み取得を申し出、受理されてこの大会に出ている。
エイドでおにぎり、パン、豚汁、そうめんを頂いた後、お礼を言って、桜堤公園の堤の上を走り始める。ここで大阪から来られた岡村さん、浪越さんとお会いする。遠くからこの大会に来られたのは、やはりこのレースの魅力からか。フルに参戦されているお二方は決しておごることなくたんたんと走られている。浪越さんは奥さんが車でサポートされていて、土手の上をしばらく併走されていた。奥さんが「じゃあ、このへんで。次は第6チェックポイントでね」と仰ってきた道を戻っていかれた。私も出来ればかみさんとこういう活動が出来ればいいが・・・と思ったが、その前にかみさんのために何が出来るか考えるのが先だろう。
第4チェックポイントのすこし手前で、土手の上から西の空に真っ赤な夕焼けを見た。大きな太陽がこれから通過する秩父の山に沈み、しばらくするとブルーモーメントという時間がやってくる。空、建物、地面など、太陽の光が薄れたある瞬間に5分ほど現れる時間である。漆黒の闇に変わるその手前の、なにか芸術的な青い色を帯びた空間。私はこの時間が好きだ。なにか自分が素直になれる、そんな気がする。
第4チェックポイント74.5km地点、鴻巣市大芦橋南西側。18:47到着。ここでも気温が下がり、土手の上で風が強く体感温度も低くなっているであろう中、3名のボランティアの方がエイドをしていただいていた。私たちランナーは走っているからなんとかなるが、ここで数時間にわたりエイドをやることはかなり大変なことと思う。本当に心から感謝してパンや飲み物を頂き、エイドを後にした。
橋を渡り熊谷市内を目指し進路を北にとる。市内に入るこの道は交通量も多く、今までの土手とは違い注意が必要となる。左側の歩道を走ってJR高崎線の線路を越え、17号バイパスを左折し、第5チェックポイントの熊谷警察を目指す。
ひたすらまっすぐの道を10kmほど走り、途中熊谷の市街地を抜けて第5チェックポイントの熊谷警察に到着。20:52、86.7km地点。スタートから約12時間が経過し、平均時速は7.3kmほどまで下がる。やはり歩きが入っているのが時速を遅くしている要因といえるが、あまり前半に飛ばすと最後まで脚が持たないと判断しているので、このペースは良しとしなくては。
チェックポイント付近で夕食(といってもスポーツゼリーとブラン)を採っていると、先ほどの浪越さん、岡村さんはじめ4名のランナーが相次いで到着。一緒にすぐそばにあるスーパーに入りトイレを借りて、飲み物を補給し出発する。
熊谷警察を過ぎると進路はほぼ西向きとなり、国道140号線は単調ではあるが涼しくなっているのでだいぶ走りやすくなったので少しスピードを上げる。90km付近から第3回大会から4回連続で出場されているベテランの長島さんとご一緒させていただく。長島さんは歩きをほとんど入れず、たんたんと走っていく。私もそれに付いていくべく粛々と歩を進める。
100kmの手前、黒田の交差点を右折し、国道140号線の旧道に入る。このあたりの高度は未だ90m。平地の延長だ。関東平野の広さを実感する。
100kmを過ぎ、140号バイパスを歩道橋を走って越えて、500mほど進むと第6チェックポイントの東武鉄道玉淀駅である。23:40着。103.8km地点。平均時速7kmほど。この駅の最終はくだり23:57分ということだが、多くのお客さんが
降りてきてびっくり。きっとここから東京など遠くに通っているのだろう。
ここでも臨時エイドが開かれていた。カレーライスとカレーうどんを頂く。うまい!寒さがだいぶ来ていて、体に暖かいものが入ることはこの上なくうれしい。玉淀駅のベンチで5分ほど休憩し、脚を揉んだりする。隣では一緒に走ってきた長島さんがベンチに横たわって既に寝息を立てられていた。しかしすごい、この寒い中、しっかり寝られるなんて。やはりこういった作戦展開が520kmを走る上で必要になるのだろう。
5分ほどの休憩の間に、4,5名のランナーが到着。大体同じスピードで走っていることが分かる。私はボランティアの皆さんに丁重にお礼を言って、迷わないように道を聞いてその場を後にした。玉淀駅の標高は100m、これから徐々に高度を上げる旅が待ち構えていると思うと武者震いがするというより恐怖心が先にたつ。兎に角あせらずしっかりした足取りで前へ進まないと・・・。
105kmを過ぎたあたりで520kmの部に出場されている白潟さんとご一緒させていただく。白潟さんは昨年520kmを完走したが、チェックポイントの見落としなどあって何か遣り残したものを感じての再挑戦ということだったが、しっかりした足取りで前へ進んでいかれた。
110km手前で4人の集団と会う。フル参戦のお三方・女性ランナーの古山さん、川の道試走会でご一緒させていただいた野崎さんとそのご友人の佐藤さん、そして前半に出場の星野さん。ウルトラでベテランの皆さんのお話を聞いていると時間が過ぎるのも忘れるくらいで、とても為になる数時間を過ごさせていただいた。感謝。
120kmを過ぎると長瀞町。1日0:39.標高170mと少し上がった。
秩父市に入ったのは2:43.125km付近。このあたりは正直、かなり寒い。サロモンのトレイルジャケットを着込むも、寒さはどんどんやってくる。休むため止まるとやたら寒いので、とにかく走るか歩くかして寒さをしのぐ。4名の皆さんも寒いようだが寒さはあまり口にしない。すごいと思う。
第7チェックポイント上野町交差点、4:13到着、129.8km地点。時速6.8km。秩父鉄道のお花畑駅の少し手前にこのチェックポイントはある。道の両脇に桜が咲いていて東京との気候の違いを感じる。進路方向10時の方向に武甲山が見えてきた。機械で削られ傷ついた山という印象。自然の利用か、破壊か?自分は埼玉に40年以上住んできたが、実際にこの山を正面から見つめたことは一度もなかった。もう一度別の機会に訪れてみたい、そう思った。
133kmから240km辺りまでコンビニがない。最後のコンビには影森駅あたりのセブンイレブンと聞いていたが、他のランナーがたくさん買っていったり、食べ物が入れ替えのためなくなっていることも考えられたため、132kmあたりのコンビニに入り、おにぎり4つ、飲み物を手当てする。前を走っていたランナーがカップめんを食していた。私も食べたかったが時間がかかることもあり、購入したものをグレゴリーのザックに納め、再出発した。
135km地点、浦山ダムに到着、5:16.寒い、寒い。早く太陽あがってくれー。
140km地点手前の荒川の源流に近い、細い川幅を橋が越えていく。石作りの欄干の端にある石灯籠を右手に見ながら橋を渡り、道の右手に標高1426mの熊倉山を望みながら前へ前へ進んでいく。山桜が、去っていく春を追いかけるように他の木々を押し分けて道に覆いかぶさるようにせせりだしている。新聞で読んだが、今頃弘前城の桜が満開らしい。秩父も同じような環境にあると実感する。
143kmを越えたあたりで三峰口に到着。7:40。三峰神社の入り口で参道にはちょうちんがつるされていて趣が深い。気温も太陽も上がり、だいぶ暖かくなってきた。
145kmを過ぎ奥秩父の狭い道を進んでいく。標高は350mから400mに達した。川をまたぐ橋も川面から高いところに造られていて、下を見るとぞっとするほどの高さだ。私は高所恐怖症ではないが、高いところに登ったり、高いところから下をのぞくと、睾丸がきゅっと上にあがる癖がある。もちろんこのときもそうなった。高いことを身をもって実感した。
九十九折の道を進み、150kmを過ぎると道の駅が見えてくる。何かを仕入れるのは山に入る前に最後のポイントだが、まだ朝早いためお店はやっていない。パスする。
1kmほど進むと道は二股に分かれる。それを右、甲府方面に進む。左に行くと旧道で山のほうに行ってしまうため要注意だ。
8:50、155km地点、小双のループ橋に到着。狭いところで高度を一気に稼ぐためにループ橋が造られるということだが、なかなかタフな勾配で、ひたすら歩いて登っていく。
ループ橋を上り終えると、そこにはかわいく小さく細くなった荒川が現れる。さらさらと流れる川のせせらぎが耳にここちよく響いてくる。流れる水はひたすら澄んでいる。そして川にごろごろと転がっている岩は大きく、そしてごつごつしていて自然のダイナミズムが感じられる。
9:51、秩父市中津川方面分岐点に到着。159km地点。時速6.4kmまで降下。だいぶ疲れもきている。歩きも半分ちかくまで入ってきている。なんとかレストポイントこまどり荘まで頑張ろうと気持ちを入れ替える。道は左に右にぐねぐね曲がりながら距離と高度を稼いでいく。この中津川林道の両脇に集落がところどころあるが平地がほとんどないため、山を切り開き、そこに住居や畑を作っている。山里の雰囲気を堪能する。
この道には先ほどの分岐点から何キロ来たかという表示が100mごとにあるため気持ちを切らすことはなかった。分岐点から11キロでこまどり荘。100kmあたりから両足のかかとのちょっと前方の部分、内側くるぶしのしたにマメが出来ていることを実感していたが、このころではそのマメもものすごく大きくなっている気がしており、いやーな気分になっていた。とにかく宿に着いたらなんとかせねば、そう思いながらほぼ歩きで前進していった。
12:00こまどり荘到着。170.2km地点。時速6.3km。だいぶこの林道に入って時間がかかった。しかし、なんとか到着してよかったというのが本音。ここでも舘山さん、柳沢さん、加藤さんはじめボランティアの皆さんにお会いして元気を頂いた。
舘山さんから「まだ元気だねー。まず一杯いく?」とビールを勧められたが丁重にお断りしてお風呂を頂くことに。私はお酒を飲むとそこでどよーんとくつろいでしまうため、走っているうちは断酒と決めていた。
お風呂に入るため服とソックスを脱ぐ。先に書かせていただいたアートスポーツ鈴木店長に勧めていただいて購入したコクーンソックス(絹で作られたソックス)とニューバランスの965を履いて今回走っている。特にこのソックスは絶品だ。雨や水にぬれてもすぐに水はけし、足はいつもさらさらでフラストレーションがたまらない。但し、耐久性があまりないのが玉にキズだが、それはよしとしよう。靴下を脱ぐとそこにはまめが。右足にはくるぶし内側下に5cm大の大きな血まめ、母子球の内側に3cmのマメ。左足には同じく内側くるぶし下につぶれた5cm大のマメが発見された。ここでは治療は出来ない。とにかくだましだまし走っていくしかないと判断する。からだは思いのほか元気で特別痛いところ、こっているところは無い。ゆっくりお湯に浸かり、20分ほどして湯をあがった。
こまどり荘施設2階のレストランに行き、事情を話し、氷をビニール袋2つに分けていただく。これから仮眠する部屋に入り、脚をアイシングするためだ。昨年、左脚のむこうずねの腱鞘炎に悩まされ、終盤50km以上にわたってびっこを引かざるを得なかったことを教訓に、今回は寝る時間を惜しんでもアイシングを15分~20しようと考えていた。仮眠するスペースは、女子用一棟、男子用2棟だったが、男子用のスペースは1つしか開いていなく、そこに陣取り脚を入念にアイシングした。自分の思いをこめて、最後までこの脚が持ちますように・・・と願をかけてアイシングに勤しんだ。
携帯電話の目覚ましを3時間後の16時にセットする。3時間の睡眠をとるためだ。人間の睡眠のリズムは1時間半の倍数になっていると聞いたことがある。昨年は津南町の深雪会館で同じく3時間セットして実際は1時間ほどしか眠れなかったが、今年もうとうとしているうちに1時間で覚醒した。回りで休んでいる人たちが一斉に起きたからだ。同じタイミングでこまどり荘に到着した人たちが同じタイミングで起きていくのを見て、ちょっと早いが起きてしまえと14:45ごろベッドからおきだした。
食堂に着くと食べ物が用意されていた。カレー、うどん、シチュー、豚汁・・・。とにかくいろいろなものが用意されているのがうれしい。食べられるものを食べるのが最後までエネルギーを維持できることになる、そう思い、舘山さん特製カレーライスを2杯頂いた。うまい!カレーはいつでも私達ランナーの応援をしてくれる。
出発の準備をして15:15こまどり荘を出発した。誰か一緒にこれから迎える三国峠の山越えをしてくれる同行者を探したが、生憎誰もいそうにない。また、10分ほど前にスタートした人がいるし、これからスタートする人が何人もいるだろうという大会関係者のお言葉を信じて一人で山登りを決意した。
中津川林道は5月1日通行解禁となった。つまり今日だ。解禁になったその日にこの道を通れる喜びを感じる。平にちかいところは出来るだけ走ろうと思い走っていたら、後から来られた舘山さんが、「走らないでもいいよ。十分間に合うよ。」と仰った。それからほとんど歩きで山を登った。もしかしたらそれが最後まで脚を持たせるため良かったのかもしれない。
18:20ごろ、つまりこまどり荘を出て2時間が過ぎたころ、180km地点近くと思うが、偶然にもカモシカと遭遇した。かもしかはじっとわたしのほうを見ては前進する私との距離を等間隔に保つように前へ進んでいく。追いながら写真を撮る私を振り返りながら、ぴょんと山の中に消えていった。大きなカーブを曲がって先に進んだところ、先ほどのかもしかがまた現れた。私は本当に幸せだ。カモシカを見ようと思ってもなかなか見られるものではない。ここでも私を視野に入れながら等間隔で前へ進んでいくカモシカのお尻を見ながら私は薄暮の中での喜びに浸っていた。
18:45を過ぎると太陽の力は消え、夜の闇がやってきた。道端にはいつ積もったのか分からない雪がたくさん残っている。山の中腹以上を見上げれば、そこは真っ白な雪景色が現れる。
気温はぐんぐん下がっているのが分かる。それは山を登る息の白さで分かる。そして、手袋をした指先の冷たさからも。立ち止まらずどんどん登っていく。気持ちを切らさないように、そして熊が出てこないように大声で歌を歌いながら。
以前こんなことがあった。大学時代、自転車で日本一周したときのことだ。北海道は厚岸のあたりの林道を走っていたとき、道の前方にきたきつねを見た。「ああ、かわいい(でも何度も見ているので珍しくはない)」。しばらくいくとエゾシカが50mほど前に現れた。このときは「なぜこんな道の真ん中に枝振りのいい木が立っているんだろう」と思ったが、近寄ってみるとエゾシカだった。近寄るとすぐに道の横の山の中に消えて行った。そうなると次はヒグマ?と思い、ひたすらペダルをこいで全速力で前へ進んだことを思い出す。
今回は歩き&ランなので猛スピードを出すわけには行かない。そのためこまどり荘に届けておいたバックの中に熊鈴を入れておいたが、それをグレゴリーのザックに入れるのを忘れてしまった。しかたないので母校明治大学の校歌、応援歌を大声で歌う。前後に誰も見当たらないので恥ずかしいことはない。寒さもなぜか吹っ飛ぶような気がした。
第8チェックポイント三国峠到着、19:33、188.5km地点。時速5.6kmに減速。この20kmの上りに要した時間は4時間18分。もう少しかかると思ったので上出来だ。峠のてっぺんで大阪から来られた(?)というボランティアのカメラマンとお会いした。飲み物を勧められるが、あまりにも寒いのでお礼だけ言って先に進む。
ここから長野県に入る。面白いのは埼玉県側は未舗装だが長野側はほとんど舗装されている。途中千曲川の本流出合があったようだが、暗くて判らず。
今回の大会には60ルーメンの高輝度LED一灯のヘッドランプとサブで手持ちの五灯LEDランプを用意したが、このヘッドランプには重宝した。とにかく軽い、そして明るい。フルで4時間しか持たないが、光量を落とせば10時間近く使うことが出来る。頭の前の部分に来るライトの部分と、頭の後ろ側にくる電池の部分が分離しているのが良い。電池とライトが前に集まるタイプは、重さでゆれたりして走るのに不都合になるが、これにはそれがない。くだりに入り遠くにライト2灯を確認した。ああ、数キロ先にランナーがいる、そう思うと元気が湧いてきた。
だいぶ坂を下り、道の両側に畑と思われるところが確認できるまでになった。しかし、それが畑かどうかはわからない。暗さとそこを一面に覆う雪によってだ。すごい雪の量。これで今までこの林道が封鎖されていたことが理解できる。
山を下り切って梓山の集落にたどり着いたところでエイドを発見。21:30。ここではいつも保科さんと言う方が私設エイドをやっておられるということだが、今年はそれがなく、大会ボランティアのお二方が暖かいラーメンを作っていただいた。とにかく暖かいものはうまい。ラーメンの汁をお替りしておなかが温まったところでお礼を言ってスタートする。
200km地点を過ぎたあたりだっただろうか、前方から先ほどのエイドでお会いした岡村さんが逆送してきた。「道がわからん」とのこと。私は地図を確認し、道なりに行くことをお伝えしたところ、女性一人では心もとないということでご一緒することになった。
このあたりの気温は1度。寒い。とにかく歩くことなくゆっくりでもいいので走っていくことにした。
道の案内標識にある小海線の信濃川上駅を目指して進む。駅舎はまっくらだ。それはそうだ、午前2時ごろだ。街には何も動くものはない。私達2人のランナーの足音だけがぺたぺたぺたと響いていく。
信濃川上駅を過ぎて500mほどいくと樋沢の集落、そしてそこから左に大きくカーブして小海線の踏み切りを越え、西川を左手に見ながらしばらく進むと小さな山越えとなる。
実際、寒さをこらえるためにザックに入れてあるものは全て着込んだうえで更に走って暖をとってきた。それがいきなり歩きとなる。寒さがぶり返す。また、ここまで1時間程度しか寝ていなかった頭が睡眠を要求し始めた。弱った。でも夜が明けて暖かくなるまでなんとしてもこのペースで走ったり歩いたりしていくしかない。それしか考えなかった。
T字路にぶつかった。実はそのT字路は第11チェックポイント南牧村市場T字路だったのだがチェックをし忘れた。あたまがとにかく眠くて朦朧としていて、十分理解できていなかった。
岡村さんとたんたんと前へ進んでいくとそこには「松原湖駅」の文字が。ああ、やっちまった、チェックポイントにもどらなくては・・・。それしか頭に浮かんでこなかった。チェックポイントに戻るためには交通機関を使っても良いということを思い出し、道を行く自家用車にヒッチハイクを試みた。幸い1台めで止まってくれて先ほどまで走っていた道を引き返してもらった。「市場交差点てどこでしょう?」「はてさて確か山の上のほうでは?」という会話が続き、運転されている方もよく判らないということで、たまたま通りかかったランナーに聞けば、だいぶ前に通過したところが市場交差点ということが判明。
載せていただいた自家用車の方にお礼を言って車を降り、第11チェックポイントを通過したであろう時間を岡村さんと地図と現時間を確認して上で協議して2日2:50とした。
このあと、思ったのは6.4kmほど戻ってしまった道をどうやって戻るかであった。ルール上この区間はすでに走ったコースなので交通機関を使うことはOKだが、こんな時間にタクシーはない、ヒッチハイクで止まってくれる車も全くない、しかたなく走っていると、佐久海ノ口駅で停車していた営業車を発見、状況をお伝えして車に同乗させていただくことになった。先ほど自家用車に載せていただいた地点まで載せていただき、そこで降車し、お礼を述べて先を急ぐことに。1時間ほどの時間のロスをしてしまった。
私は前半のハーフの出場、しかし岡村さんはフル520kmに参戦中。今回のトラブルがどれだけ岡村さんにダメージを与えたかはわからないが、前できちんと確認すべき私が状況判断を怠ったことを岡村さんにお詫びした。本当に申し訳ないことをしてしまった。
小海線を右手に見ながら国道141号をひた走る。ほぼ下り基調となり体は楽だ。しかし、足に出来たマメはジュクジュクと汁を噴出し、止まってしばらくすると走ることが無性にしたくなくなる。どうしようもないので、今は私を引っ張ってくれている岡村さんについていくだけだ。道の右手には朝日にきらきらと輝く千曲川が流れている。川面の美しさに眼を奪われる。本当に綺麗だ。
2日11:35、佐久市長土呂東交差点到着。257km。時速5kmちょっとまで減速。残りは今まで来た距離からすれば本当に少しだが、実際これはやってみないとわからないがかなりきつい。新幹線の高架をくぐり、交差点までたどり着くまでの長かったこと。
ここまでお付き合いいただいた岡村さんには先に行っていただいて、私は暑さと眠さでぼーっとなった頭に喝をいれるべく水分を採り、スポーツゼリーを胃に入れ、更には履いているスポーツタイツに水をかけてアイシングした。
そして、29日の開会式にあねごとよんでいるお富ねえさんを通じていただいた、同じランニングクラブ明走会の仲間である土田園子さんからのつらくなったらあけてねと言われていたビニールパックをあけてみた。
そこにはこう書いてあった。
「大きな夢へ向かって。必ずゴールはあるよ。フレーフレー。」
元気が湧いてきた。人間なんて現金なものだ。ちょっとのことで気持ちは萎えたり、逆に強くなったりする。応援してくれる人がいるからこうして走れるし、体や脚の痛みにも耐えられる。左脚をかばって痛みが増していた右脚にも水をかけて、「最後までもってくれよ」と声をかけてスタートする。
長土呂を左折してからの141号旧道は、歩道が細く、きわめて走りづらいが微妙なアップダウンがある道を一歩一歩と進んでいく。歩きは出来るだけいれず、ゆっくりでも走るようにする。左手に小海線が寄り添うように近寄ってくる。しばらくいくと乙女駅が見えてくる。いよいよだ、四ツ谷の交差点を左折し小諸市街に向かう。偶然、もっと先に行っていたと思っていた岡村さんが目の前に現れる。一緒に小諸グランドキャッスルホテルに向けて進む。といっても私が引っ張られるばかりだが。
東小諸駅を過ぎ、南町交差点を左折して、線路を越えて右折し、最後の直線に入る。
懐古園が見えてきた。ああ、あのとなりがゴールだ。
やっとたどりついた。遠くにスポーツエイドジャポンの皆さんがゴールテープを張って待ってくれている。去年はびっこを引きながら歩いてのゴールだった。だが今年は違う。しっかりとした足取りで、ゆっくりではあるが走れている。そしてゴール。
264.7kmゴール。2日13:19:01.記録52時間19分1秒。
ゴールでは昨年涙を流したことを知っているボランティアの方もいて、「今年は泣かないのか?」と言われたが、涙は流れなかった。しかし、心の中では、無我夢中で走ったというか歩いた昨年より、エイドやいろいろなところでサポートしていただいている皆さんへの思いを深くし、おもてなしの気持ち、ランナーを最後まで走らせたいという大会関係者及びボランティアの皆さんの気持ちを強く感じた。
小諸キャッスルホテルの二階に上がり、ビールを頂いた。まだうがいも手洗いもしていないが、今日はいいだろう。受付に座っておられたマダムのような巻渕さんに勧められ、立て続けに3,4杯ビールを頂いたら眠気が来た。御礼をいい、あわてて風呂を浴びて長旅の汗を流した。
ソックスの下は大変なことになっていた。マメが破れ、おびただしい汁が流れた後がその痕跡からうかがい知れた。血マメもつぶれる寸前でぶよぶよとした大きな塊となっていた。
暖かいお風呂と水風呂を交互に3回入り、血液の流量アップを図るように風呂を使った。これは明走会の事務局長であられる柴山さんに教えていただいてからやっているが、かなり効果があると思っている。疲れも取れる感じがする。
眠気が出てきたので仮眠を取るべくバックを取りにいくと、そこに青森の阿部さんが現れた。私の小諸で一番したかったことは勿論ゴールだが、次は阿部さんに会うことであった。
その理由は、昨年、ゴールまで3km地点で、足取りもおぼつかず、このままでは時間内完走が危ぶまれる時間帯に入ってきたときに救世主のように現れたのが阿部さんだった。阿部さんは前半のハーフを完走し、後半の部にも出場されていて善光寺でリタイアされたが、最後の新潟のゴール地点にいらっしゃったのだ。新潟の海まで連れて行っていただき、折り返しゴールまで私をいざなってくれた。礼を言っても言い尽くせないくらいだが、大切な方に一目会ってお礼を言えてよかった。
目的は遂げられた。後は自宅に帰る算段を考えるだけだ。聞けば、新宿に向かう高速バスがあるという、しかも片道3000円で。18:10の小諸駅発新宿行きを予約し、14:30から17:30まで仮眠を取った。
あっという間の睡眠であった。そして3時間の熟睡の後、目覚め、そして着替えて皆さんにお礼を言って駅に向かった。最後に舘山さんから、「昨年は後半、今年は前半、来年はフルだねー。」といわれたが明快な返事はしていない。
もしかしたらそうなるかもしれないし、そうでないかもしれない。
それくらい魅力的で、それくらいタフなレース、それが「川の道」フットレースだと思う。


使ったお金
エントリー代金:20000円
開会式会場までの交通費:160円×2
スタート地点までの交通費:380円
事前にザックに入れたペットボトル3本:300円
事前に用意したスポーツゼリー、玄米ブランなど軽食:1500円
LEDライト:3980円
電池:980円
1L飲み物(カフェオレ、抹茶各1):210円
おにぎり4つ:420円
のり弁当:430円
レース終了後の食事としてすき焼き弁当、カップめん:766円
小諸~新宿高速バス代金:2500円(回数券使用)
ペットボトル2本:270円
合計:32,056円

装備
バック:グレゴリーリアクター(12L)
シューズ:ニューバランス965
靴下:コクーンソックス
帽子:普通のランニングキャップの下に首筋の日焼けを防ぐためのマイクロファイバーキャップを重ね被り
上衣:Tシャツの上に長袖Tシャツを重ね着(両方とも発汗素材のもの)。長袖を着るのは日焼けで体が疲労するのを軽減するため。更に、夜の寒さ対策で薄手のトレイルジャケットをザックの中に入れておいた。
雨具:幸い雨は降らなかったが、雨具は必須。特に0度くらいになった三国峠では雨具を防寒用に使った。私は黄色の蛍光色の発汗性能のあるものを使用している。
ボトム:CW-Xスタビライクスタイツとアシックスコアバランスタイツを日をかえて使用。昨年は縫い目が股にあたり尻がすりむけたが、今年はファイントラックのブリーフを下にはいた。しかし、股は今年もすりむけた。機能性タイツの有効性は自分の中では実証されている。長い距離を走る(歩く)時には有効だと私は思う。